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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1529)
わたし(横田)は、毎週1回本屋に行きます。今年になって経済・経営・科学関係の本で読みたいのがないのです。パラパラとページをめくるのですが、これを読もうとする本がまるでないのです。これは、今の時代と関係がありそうです。時代がどうなるのかわからないときには、読もうとする本がないのです。例えば、未来の人工知能はどうなるのかというテーマで良い本はないかと探すのですが、今まで読んだ松尾豊さんの本を除いて良い本は見つからないのです。人工知能(AI)は、2010年以降でDeep Learningを使ったものと定義してほしいと思います。さもないと、AIの意味がわからなくなってしまうのです。インターネットで、LITERAとか英語の記事(Googleで翻訳する)について良いものが多々あります。Googleで翻訳した文章を、去年暮れと今年の5月で比べると、その違いが一目瞭然にわかります。文章が日本人が書いたように自然になっているのです。これは、AIの仕業です。わたしは、今年から来年にかけて大変革の時代だと言っていますが、その要点をまとめてみます。                                \こΔグローバルゼーション(自由主義)から反グローバル化(保護主義)になる。     ∪こΔ涼羆銀行が金融緩和を進めて来たが、これが終わって金融引き締めに向かう。      世界の株式市場規模が小さくなる。                            だこΔ良挈義悗凌瑤小さくなる。                             ダこΔ龍睛算駛楴腟舛禄わった。                             わたしは、2007年から大変革の時代がいずれやってくると言っていました。その理由は、サブプライムローン危機とリーマンショックで、世界の中央銀行がなんと金融緩和を始めたからです。世界中の企業が負債に覆われたので、それを早く清算せよというのが中央銀行が取る方法だったのです。それを、正反対の金融緩和にするというのです。そうすると、企業の負債は借入金の増減をするだけで生き残るのです。ところが、世界の企業の負債は減るどころか増えるのです。その限界がとうとう近づいたのです。トランプ大統領が、自由主義から保護主義へ大きく舵を切りました。今までは日本も企業の輸出入を積極的に進めてきましたが、これからは米への輸出はダメで、米の雇用者数を増やす現地生産だけを求めてきました。トヨタを始め協力企業は大打撃を受けます。株式市場規模がものすごく小さくなります。来年になると、日経平均株価が5000円くらいになりそうです。富裕層も、株価(資産)が4分の1になると、負債が逆に大きくなります。そうなると富裕層の資産は借入金(負債)に変わることが多いのです。資産が100あって、負債が70あったとします。利益が30あります。ところが、資産が25になったら、負債が70のままでも損失が45になります。これが、富裕層が損失抱える源になります。「お金がなければ何もできない」と考える人々から、「お金がなくとも生活ができる」人々が増えてきたのです。それには、地方に行って、半農半Xみたいにすると、都会の生活よりも半分以下の支出で済むようになります。食べ物と住む場所が都会に比べて、すごく安価になります。「お金がすべて」と考える人々が確実に減っているのです。一方トランプ大統領は、ドルの価値が今まで高すぎるのでこれからはもっと低くするべきだと言っています。低くしないと、米の貿易赤字がなくならないからです。反対にFRBは、ドルの価値は今以上に高くすべきだと言っています。そのせいでドル円相場が不安定なのです。しかし、ドル円相場は来年に向かって1ドル50円に向かいそうです。もう、大変革の時代に入っているのです。日経新聞が大変革の時代がやってきたと書く時は、もう大変革の時代が終わっている時なのです。          そのころは世界の指導者が今とはまったく変わっています。これから未来を知るには、藤原直哉さんの講演が一番良いです。政治経済科学を知るために藤原さんを除いては、良い人が見つかりません。                                           対談!経営語録 2017年5月10日                              経済アナリスト 藤原直哉さん                               http://www.ecg.co.jp/blog/media/taidan20170510.mp3                       38分間                                              <明確な経済政策を言っているのは、世界中でトランプ大統領のみ>              <ロシアが生みの親:北朝鮮、アメリカが生みの親:韓国>                  <冷戦の最後、極東での棘が抜ける時>                           <新しい秩序に向けての動きはじめ>                           <6月の解散ありえる!?可能性あり!?> <この10年間の金あまりによる経済界の下剋上の始まり>                   <国際金融資本vs. トランプ大統領の見ごたえ>                       <国破れて山河ありの日本>                                <孤立するイスラエル、中東最終局面のイスラエル攻め>                  
| 経済 | 04:00 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1528)
今回は、スノーデン氏が暴露した機密文書です。 「米が日本にスパイ装置提供」 「米メディアが機密文書公開」 米ジャーナリストらが開設したニュースサイト「ジ・インターセプト」は24日、元米中央情報局(CIA)職員のスノーデン氏が暴露した機密文書のうち、米国家安全保障局(NSA)と日本の情報機関が長年にわたって協力してきたことを示すとされる13文書を公開しました。 そのうち2013年4月の文書は、NSAが日本側に「エックスキースコア」と呼ばれるシステムを提供したと記載。ジ・インターセプトによると同システムは、通常のインターネット利用者が使うほぼ全ての情報を監視・収集できる強力なスパイ装置です。さらに同文書には、米側の長期的な戦略目標から、日本政府職員を訓練し、能力を高める必要があるとも記載されています。 04年4月の文書では、世界中の情報活動に使用されているとされる在日米軍横田基地(東京都)内のアンテナ機器の関連施設の建設費660万ドル(現在の為替レートで約7億2700万円)の大半を日本側が支払ったとされます。 07年3月の文書では、日本側が5億ドル(同約551億円)を負担して最高水準のNSA施設をキャンプ・ハンセン(沖縄県)内に移設。三沢基地(青森県)の傍受システムがアフガニスタンやパキスタン、インドネシアの対テロ作戦に活用されたとの記述もあります。 英国メディアの10日付の報道によると、エドワード・スノーデン元NSA(米国国家安全保障局)職員は「iPhoneの電源を切っても、NSAの職員がマイクを通じて盗聴することができる」と示した。スノーデン氏が暴露した情報は専門家に実証された。 スノーデン氏によると、米国家安全保障局と英国政府通信本部(GCHQ)が共同で新技術を開発してきた。この技術で利用者が何も知らない情況の下、電源を切っても、マイクを通じて関係情報を盗聴することができるという。 スノーデン容疑者はロシアの首都モスクワで「NBC Nightly News」のインタビューに応じ、内容の一部が27日に明らかになった。それによると、スノーデン容疑者は「スパイとして訓練を受け、海外でも活動した」と述べた。 スノーデン容疑者は自身が「技術専門家」だとし、「米当局のためにシステムを設置していた」と説明。その上で、自身に対して「ランクの低いシステム管理者で、何を言いたいのか分かっていない」との批判があるが、それは正しくないとの考えを示した。 米国家安全保障局(NSA)による電話通話記録の大量収集・保管を終了する方針を決めたと報じた。 近く議会に法案を提出するとしている。NSAによる組織的な通話記録収集はやめ、記録は電話会社で保管される。NSAは、裁判官の許可を得た上で、特定の通話記録を入手する方法に変えるという。複数の政府高官の話として報じた。                                                       わたし(横田)は、マスメディアの発表よりも小さなニュースサイトである、スノーデン氏が暴露した機密文書の方が重要度が高いと思います。米国のCIAやNSAが、日本政府職員を訓練して、通常のインターネット利用者が使うほぼ全ての情報を監視・収集できる強力なスパイ装置を開発したのです。このような「通常の利用者がネット上でやりとりするほぼすべて」を監視できるシステムが、今のところ、どのように使われているかは不明です。もし共謀罪が成立すれば、このようなシステムが全面的に活用され、「ネット上でのやり取り」が監視されることになります。すでに、街中には数多くの監視カメラが作動しています。通信傍受法の「改正」によって盗聴の対象が拡大され、知らないうちに通信の内容が傍受される危険性が高まっています。GPS(全地球無線測位システム)も犯罪捜査で使われています。最高裁は令状なしでの使用は違法だとの統一判断を示して歯止めをかけましたが、共謀罪が成立すれば捜査手段として活用することが合法化されることになります。これから1〜2年の大変革の時代に向けて、スノーデン氏が暴露した機密文書が大きな監視の防止に役立つことになります。                                                                次回は、5月12日(金)になります。
| 経済 | 05:13 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1527)
わたし(横田)は、東芝だけではなく、今の大企業の多くが大艦巨砲主義の時代の成功体験に縛られていると思います。未だに20世紀の成功体験から離れることができないのです。21世紀になって、世界の中央銀行が金融緩和政策をやりました。大企業は時価総額を上げるために、例えば株式市場で発行済み株式総数を2倍にして株式単価を2分の1にします。時価総額はその時は一緒なのですが、金融緩和で株主はレバレッジ効果を利用し、受け入れる資金の数倍から数十倍の金額の取引を可能にしたのです。企業が経常利益を上がっていることだけを株主に報告すれば、時価総額は上がっていくことになります。しかし、反対に企業が経常利益を以前より縮小し始めた途端に、株価は大きく下げることになります。それに加えて中央銀行が金融緩和政策を続けられなくなった今日、日経平均株価は下がっていくことになるのです。FRB・ECB・日銀は、バランスシートの合計13兆ドルをどうやって減らすかという量的引き締めを議論しているのです。世界が大変革の時代に入ったのは、日本では日経平均株価や円高が信じられないくらい大きく変化することを示しています。1〜2年以内に、金融資本主義は崩壊します。これからは、企業が利益を上昇したら、上昇した分だけ株価が上がることになります。要するに、日経平均株価はあまり上下しないことになります。金融緩和政策では、株価は利益が30%上がったら、3倍になっていたのです。日本は、世界中で一番多くの債権を持ってます。円高になるのは、そのためです。1〜2年以内に、円高で1ドル50円になりそうです。日経平均株価は、5000円くらいになりそうです。大企業は、時価総額が大きく下がって、これからは長期借入金がものすごく膨らみます。大企業の倒産するところが、いくつか出現しそうです。わたしの知っている人で、会社を辞めて、株式相場で何倍にまで資産を増やしました。その人はこれからどうすれば良いか、相談に来ました。これからは、近江商人が売り手よし・買い手よし・世間よしという「三方よし」の精神を大切にすることが重要だと言いました。大変革の時代に、企業で何もしない経営者が奈落の底に突き落とされるかもしれません。
| 経済 | 05:06 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1526)
今回は『昭和解体 国鉄分割・民営化30年目の真実』牧久著/講談社です。 著者の牧久氏は、日経新聞副社長、テレビ大阪会長を経て、精力的にノンフィクション作品を書いています。 昭和62年(1987年)4月1日午前0時、「日本国有鉄道」は明治5年(1872年)の開業以来、115年にわたった長い歴史の幕を閉じた。 その日、鉄道発祥の地である東京の汐留貨物駅で行われた「SL汽笛吹鳴式」では、戦前に製造されたC56型蒸気機関車が、むせび泣くような汽笛を鳴らし、詰めかけた鉄道ファンは国鉄との別れに涙するとともに、新たに発足する民間鉄道「JR」の前途を祝したのだった。 だが、この記念すべき日を迎えるまでのおよそ20年間、水面下では国鉄関係者のみならず、政治家、官僚、財界人を巻きこみ、友情、憎悪、打算、裏切り、そして連帯という壮絶な人間ドラマが繰り広げられていたのである。 国鉄解体の起点となったのは、1967年のことです。この年、国鉄は開業以来初めて累積赤字に陥ったのある。 「私は60年安保の年に上京して、日経の社会部に入ったのが東海道新幹線開業で国鉄が単年度赤字に転じた1964年。自分の記者生活と国鉄解体への20年がちょうど重なるんですね。 特に累積赤字が表面化し、国鉄が5万人の合理化策を打ち出した1967年以降、労使関係はいよいよ迷走する。これは戦後の下山・三鷹・松川各事件に波及した1949年の9万5000人に次ぐ一大整理で、それまで二人乗務が原則だった運転士を一人にする〈一人乗務〉で浮いた人員を他にまわす、文字通りの合理化でした。 特に運転士の組合である動労は猛反発し、この時、組合側が勝ち取った〈現場協議制度〉が労使の力関係をおかしくし、国鉄崩壊の引き金を引くとは、当時は誰も想像しませんでした」 「現場団交権を意味するこの文言をねじ込んだのが、国労の諸葛孔明こと細井宗一で、以来、国鉄は組合側に人事権すら握られ、車内での内ゲバやサボタージュが横行するなど、異常事態に突入していきます。 私も執行部と労務を両方経験しましたが、労使交渉は9勝6敗の論理と言って、会社か組合どちらかが全勝してもダメなんです。特に国労・動労といえば全国50万人の国鉄マンを束ねる一大勢力でした。だからその後磯崎叡(いそざき・さとし)第6代総裁が掲げた〈生産性向上運動〉と事後処理の失敗でさらに混迷を深めた国鉄をめぐっては、組合潰しと分割・民営化が同義語になっていきます」 わたし(横田)は、30年経ったJRの分割・民営化が成功したのかどうか疑問です。民営化の恩恵を受けたのは、本州にある東・東海・西だけなのです。鉄道事業が未だに赤字なのは、北海道・四国・九州です。これらの会社は、これからどう立て直すのか展望が全く開けてません。国鉄は、分割・民営化ではなく、国鉄全体をひとつの民営化する事業が必要だったと 思います。国鉄からJR東海の名誉会長になった葛西敬之氏が自民党の有力政治家とパイプをもちながら、リニア中央新幹線の工事実施計画の認可を受けたことが話題になっています。 超電導リニア技術を高速鉄道に導入するのは初めてで、プロジェクトの総事業費は5兆円を超える見通しです。超電導リニア技術は、東芝製です。しかも、大阪へのリニア延伸は、5兆円どころか30兆円だったのです。わたしは、東芝と同じようにこのプロジェクトが頓挫する可能性が大いにあると考えています。
| 経済 | 04:17 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1525)
今回は、ユニクロ柳井正社長の「語られない一族の出自と解放運動」です。 「泳げない人間は沈めろ」 「労働者は年収100万円以下で当然」 非情な言葉を口にする一方、自分はこれといった苦労も努力もした事はない。 日本有数の資産家になった柳井正のユニクロは、その始まりが元非合法組織の構成員で、解放運動とも深い関わりを持っています。 柳井正は事あるごとに労働者を侮辱したり、日本人を批判する発言をしているが、そのルーツは江戸時代の身分制度にありました。                                                              <柳井一族の出自> 柳井正は父親からユニクロの前身「メンズショップ小郡商事」を受け継いだが、元は叔父の「小郡商事」が始まりだった。 柳井の叔父の柳井政雄は日本の部落解放運動の活動家で、解放運動から政治家に転じ、山口県議会議員を勤めました。 中央政界にも人脈があり、山口出身議員の後援会会長をつとめ、総理府同和対策協議会や同和対策審議会委員も勤めた。 実業家としても成功し、38歳で1946年「小郡商事」を創業、弟の柳井等(柳井の父)が洋服事業を担当していた。 1949年に「メンズショップ小郡商事」として独立店舗を開業して1972年に現在の社長の柳井正が入社しました。 柳井政雄の叔父(つまり柳井正の父の叔父でもある)柳井傳一は部落解放運動の先駆けである全国水平社の創設メンバーでした。 全国水平社は1922年に創設された部落解放組織で、江戸時代の身分制度の最底辺に位置した人たちの集まりとされています。 日本の慣習や制度を打ち破る事を信条とし、自然に反政府活動や日本人に批判的な人と協力するようになった。 水平社は水平(平等)より権力を握って日本の支配層を目指す運動に変化し、部落解放同盟に変化していきました。 つまりユニクロとは部落解放同盟の創設に参加した一族が創業した会社であり、柳井一族は筋金入りの部落運動活動家という一面を持っています。 社長の柳井正の数々の反日発言や、日本と日本人を敵視する思想、言動は柳井一族の出自から受け継いでいます。 言うまでもなく現代の柳井正も父や叔父から、解放運動人脈を受け継いでいると考えられる。                                                                                <ユニクロ前史> 1984年に「ユニーク・クロージング・ウエアハウス」を開店しユニクロになり、直後に柳井正が社長に就任しました。 実質的に「ユニクロ」方式の店舗を始めたのは柳井正だという事が分かります。 創業者で叔父の柳井政雄は、父が部落出身者だったらしく牛馬商を営み、父の手伝いをした後、京都の板前の兄の元で働いた。 だが隣の犬を刃物で傷つける事件を起こして首になり、山口県の炭鉱で働くうちに裏組織の組員になった。 数々の事件を起こした後に23歳で足を洗い、解放同盟の叔父、柳井傳一から資金援助を受けて簡易宿舎を始めた。 これが1932年の事で、当時の500円(現在の100万円相当)を元手に木賃宿、材木商、運送業と事業を広げて行った。 この頃の柳井政雄は足を洗ったとは言っても元組織の一員であり、荒っぽい男達を雇って働かせていたのは想像に難くない。 柳井政雄は1946年に日本社会党公認で山口市議、次いで山口県議会議員に当選したが、むろんクリーンな政治とは無縁な活動をしていた。 非合法組織や部落運動に顔が利き、警察にも通じていて事業で得た金もあり、金権政治を地で行っていた。 選挙で後押ししたのは後に部落解放同盟となる水平社の叔父、柳井傳一だった。 因みに「餃子の王将」を創業した加藤朝雄とユニクロを創業した柳井政雄は共に部落出身で、解放運動を通じた友人だったと言われている。 柳井政雄は貧乏臭い社会党とは合わずに仲たがいし、総理の佐藤栄作から誘われて自民党系で解放運動を始めた。 このように現在「ファーストリテイリング」という名前の会社の始まりは、実は組織の親分と部落解放運動が始まりだった。                                                                  <柳井正の信条「泳げない人間は沈める」> このような一族の遺伝子は柳井正にも脈々と受け継がれていて、日本人への憎悪と日本という国への憎しみは隠しようが無い。 ユニクロはブラック企業として有名だが、その現状はどういう物なのか、元従業員らの告発から知る事ができる。 柳井正は「泳げない人間は沈める」「企業には年収100万以下と1000万円以上の人間しか必要ない」など数々の名言を残して来ました。 柳井の父と先祖は最底辺労働者であり、そこから這い上がるために解放運動をしていたのだが、自分が支配層になると労働者を貶めた。 ファーストリテイリングは『ユニクロ帝国の光と影』という本を告訴したが裁判で敗れ、書いてある内容は事実だと裁判所が認定しました。 ユニクロを批判するマスコミや告発者には、高額賠償金をチラつかせ、批判させないようにしているとされている。 『ユニクロ帝国の光と影』によるとタイムカードを押して退社したように見せかけ、月300時間以上の労働をさせていた。 これに対し柳井正は「人より良い生活がしたいのなら、頑張らないと賃金は上がらない」などと述べ、質問しても話をはぐらかすのが特徴です。 「経営者になれない人間は賃金100万円以下になり、賃金を上げたいなら頑張らないといけない。」が口癖である。 ユニクロでは社員は朝7時に出勤し、夜10時過ぎに退社するのが常態化していて、しかも残業はしていない事にしていました。 ユニクロでは「フルボリューム開店」する事になっていて、開店した時点で棚に「隙間」があったらペナルティを受けたり叱責される。 前日に売れた分を朝10時まで完璧に並べなおさねばならず、朝7時に出社しなければならないという訳です。 勤務中は制服としてユニクロ製品の着用が義務付けられているのに、服は買い取りで店が補助をしたりはしない。 しかも毎日同じ服を着てはいけないので、ユニクロで働くとユニクロをどんどん買わされます。 努力しろが口癖の柳井正は入社した時点で重役であり「賃金を上げるための努力」なる物を自分はしていない。                                                                        わたし(横田)は、ユニクロがなぜブラック企業と言われているのか詳しくは知りませんでした。柳井正社長は、日本よりも世界の市場で勝負するとグローバル化が大切だと言っていました。柳井社長の言葉です。 「僕が若い社員に『海外に行ってくれ』と繰り返し言うのは、本当の意味で経営者になってほしいからです。それができないのであれば、当然ですけど、単純労働と同じような賃金になってしまう」「僕は将来、本当に若者が活躍できる世の中になれば、25歳以上は全員対等に評価すべきだと思っています。(中略)25歳くらいまでに基本的な考え方を決めて、努力を重ねて35歳くらいで執行役員になる。そして45歳くらいでCEOになるのが、正常な姿だと思っています。だからこそ、若いころに甘やかされてはいけないと思っています」 「世界どこでも、やる仕事が同じだったら同じ賃金にするというのが基本的な考え方。海外にも優秀な人材がいる。グローバルに事業を展開するのに、あまりに賃金が違いすぎるのでは機能しない」「日本の店長やパートより欧米の店長のほうがよほど(賃金が)高い。日本で賃下げをするのは考えていない。一方で途上国の賃金をいきなり欧米並みにはできない。それをどう平準化し、実質的に同じにするか、具体的な仕組みを検討している」「(離職率が高いのは)グローバル化の問題だ。10年前から社員にもいってきた。将来は、年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」「我々が安く人をこき使って、サービス残業ばかりやらせているイメージがあるが、それは誤解だ」 「作業量は多いが、サービス残業をしないよう、労働時間を短くするように社員には言っている。ただ問題がなかったわけではなかった。グローバル化に急いで対応しようとして、要求水準が高くなったことは確か。店長を育てるにしても急ぎすぎた反省はある」 柳井社長のように、お金儲けだけに全精力を費やした人は、お金がすべてではないことに気づくには遅すぎたように思います。 柳井社長は、個人財産額で国内1位が孫正義で、2位が柳井正です。今、大変革の時代で、あと10年も経たない間に2人の名前は消えると思います。しばらくすると財産ではなく負債で、二人は苦しむことになりそうです。孫さんは幼い頃ひどい貧乏でした。柳井さんは、昔部落出身ということでした。2人は、それをバネにして、日本よりは世界の市場だとグローバル化を進めて来ました。渋沢栄一の「論語と算盤」は、イノベーターとして数々の難題に挑戦し道を切り開いてきました。柳井さんと孫さんは、お金儲けではなく、社会に対する本当の技術革新が重要なのです。
| 経済 | 04:20 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1524)
今回は、安倍家三代を丹念に取材し、「安倍晋三」なるものの正体に迫った『絶頂の一族〜プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』を描いた「絶頂の一族」松田賢弥著をお送りします。 <プロローグ ゴッドマザー・安倍洋子を軸にした三代> 11月とはいえ、時にあたたかい陽だまりの芝生の上で坊ちゃん刈りにカーディガンを羽織った二人の幼い男の子の間を、背広姿の初老の男が一緒に駆けっこに興じている。『毎日グラフ』(1956年12月9日号)に載ったスナップ写真の一枚で、男の子は4歳の安倍寛信と2歳の弟の晋三、初老の男は発足したばかりの自民党の幹事長・岸信介である。二人の男の子は、岸の娘・洋子が産んだ孫だった。この時、岸は60歳だった。 都内でも指折りの高級住宅地としてその名が知られる渋谷区南平台。岸が自身の邸宅に隣接する往年の名女優・高峰三枝子の五百坪の土地と屋敷をそっくり借り受け、二軒合わせて自宅兼迎賓館として使い出したのは56年夏のことだ。ヨチヨチ歩きの二人の孫と岸が戯れる芝生は、高峰が映画人らを招き華やかなパーティに酔いしれた場所でもあった。 スナップ写真の中には、口に入れた指をしゃぶる晋三が兄の寛信に仲睦じく寄り添う一枚もある。キャプションにはこう記されている。 「ガランとした(岸)私邸の応接間で遊びに来た孫たちが爐い舛个麑椶帽イなおじいちゃん瓩慮修錣譴襪里鬚泙辰討い 好きな理由は爐い弔發いい發里鬚れるんだもの瓠 ちょうどこのスナップが撮られた頃、父の晋太郎は毎日新聞社を辞め、外務大臣・岸の秘書官に転身。さらに58年、晋太郎は旧山口一区から衆議院選に出馬し、初当選している。 晋三の弟で、三男の信夫が生まれたのは、翌59年のことだった。実は、晋太郎と岸の長女・洋子が結婚する際、「三人目が男なら岸家の養子とする」との約束事が交わされていたという。岸の長男である信和と仲子夫妻に子供ができなかったからに他ならない。 信夫が生まれてすぐ、晋太郎夫妻と信和夫妻に、岸の弟・佐藤栄作(後の総理)が加わって話し合いがもたれた。野上忠興『気骨 安倍晋三のDNA』(講談社)によると、席上佐藤が「晋太郎、本当に出していいんだな」と強く念を押す場面があったという。また、岸も「洋子、無理をしなくてもいいんだからね」と言い、洋子がわが子を手放すことをためらったという話もある。 岸は、自分が中学卒業と同時に養子に出された身だけに、ことのほか孫の信夫を可愛いがった。安倍家へ頻繁に遊びに来る信夫は、洋子を「おばちゃま」と呼んだ。養子に出された事情を知りながら口に出さない寛信・晋三兄弟のことは「おっきい兄ちゃん」「ちっちゃい兄ちゃん」と呼び、彼らの方は「ノブちゃん」「ノブオ」と声をかけて育った。 名門の血脈を守り、絶やさないために養子縁組に依存するこのファミリーに育った晋三。 これまで繰り返されたのは佐藤、岸両家の血が入り混じることだった。その先に、晋太郎が加わることで安倍家の血脈が生まれた。さらに、三男・信夫を岸家の養子に迎える。岸家にすれば血のいわば逆輸入によって血族が保たれたのである。ただ、洋子は、わが子・信夫を養子に出したことを悔いていた。それは、後に信夫が政治家になるにあたり、育ての母・岸仲子の悲劇を生むことになる。 <父母不在の邸宅> 南平台の家は岸の首相公邸としても使われ、60年、戦後最大の騒擾と今もって語り継がれる安保改定阻止闘争のひとつの舞台にもなった邸宅だ。父・岸信介の身を案じる娘の洋子と、寛信・晋三の二人の孫は、連日のように社旗を立てた新聞社の車に乗せられ、裏道から勝手口に抜けて邸宅に入り込んだ。洋子は岸と孫らの情景をこう記している。 「わたくしが子供たちを連れて訪れますと、デモ隊がとり巻いている家のなかで、さっそく父は孫たちと鬼ごっこに興じるのです。また、子供たちからすればデモ騒ぎもお祭りごと、外のシュプレヒコールをまねして『アンポ、ハンタイ!』と座敷を駆け回るのを、(中略)父はただ愉快そうに笑って見ているばかりでした。 さんざんはしゃいだのち疲れて寝入ってしまった次男(晋三)を膝に抱き、晩春の陽差しの下、縁側に坐ってデモ隊の行列をあかず眺めておりました父の後姿が、いまも目に浮かぶようです」(『中央公論』87年10月号「父 岸信介の素顔」) 南平台の邸宅の窓からデモ隊と機動隊の群衆が揉み合う光景に、50年余り経て総理の座につくことになる晋三が6歳の眼で何を見たのかはわからない。 晋三は両親不在の家庭に育った。安保闘争が終息してからも、それは変わることがなかった。晋三自身がこう語っている。 「やっぱり普通の家庭への憧れはあった。人の家に遊びに行って友達が両親なんかと楽しそうに話してたり、父親と何か楽しそうにやり合っているのを見ると『ああ、いいな』と思ったりしたものです。それに引き替え、うちの家には父は全然いないし、母も選挙区へ帰ることが多かった。だから父がたまに家にいたりすると、何かぎくしゃくした感じがしたものだった」(『気骨 安倍晋三のDNA』) 洋子はこれを「我が家は独立国家の共同体のようなものでした」と表わした(前掲書)。 晋三は洋子の愛情、なかでも男の子ならこの時期、誰しもそうだが、母親の温もりを人一倍求めていた。母・洋子への思慕は祖父・岸信介への思いに繋がっていく。「おじいちゃんを褒めれば、お母さんが喜ぶ」という幼少の記憶が、晋三にはずっと残っていたという。 言葉を換えて言うなら、全然家に帰らない晋太郎よりも、祖父・岸信介が晋三の精神形成の上でも「父親」の存在だったように思えてならない。 岸は60年安保を成立させて総理を退いた後、南平台からいったん渋谷区富ケ谷に転居。その後、70年から静岡県御殿場に居を移した。鬱蒼とした杉林に囲まれ、約千六百坪の敷地に、二階建ての瀟洒な屋敷(総面積約百七十坪)が建つ。この豪邸は岸の終の棲家となる。晋三は当時成蹊学園の高校生だった。この頃、岸は晋三のことをこう洋子に語っていた。 「振り返ってみますと、『晋三は政治家になるよ』と最初に予言したのは、父・岸信介でした。当時、父は御殿場に住まいを移していましたが、私たちの住んでいた世田谷の家を訪ねると、『ああ、おじいさま』と言って真っ先にやって来るのは、きまって晋三だと言うのです。『きっと政治の世界に興味があるんだ。あれは政治家になる』と御殿場に帰って、嬉しそうに語っていたそうです」(『文藝春秋』03年11月号「息子・安倍晋三」) 晋三は政治家になると最初に予見していたのが、あの岸信介だったという逸話は興味深い。安保改定を前にした59年には岸家の養子となる三男の信夫が誕生しているものの、岸は名門の血族を継ぐ子として晋三を寵愛していたことが窺えるからだ。 <戦犯の孫と60年安保> その晋三が多感な高校生時代に、安保の自動延長を巡る70年安保闘争が起こっている。反安保統一行動には全国で77万人が参加。また、東大安田講堂の封鎖解除に機動隊が出動した(69年)ことに象徴されるように、ベトナム反戦運動と相俟って学生運動も広がった。 一方、万博が開かれ(大阪・千里丘陵)、入場者数は6421万人余りにのぼった。東京・杉並区で光化学スモッグが発生し、作家・三島由紀夫が東京・市ヶ谷の自衛隊駐屯地内で決起を呼びかけた後、割腹自殺(45歳)を遂げるなど、70年の世情は騒然としていた。この中で晋三は何を考えていたのだろうか。晋三は激したようにこう吐露している。 「日米安保を堅持しようとする保守の自民党が悪玉で、安保破棄を主張する革新勢力が善玉という図式だ。マスコミも意図的に、そう演出していた。打倒する相手は、自民党の政治家だったわたしの父や祖父である。とりわけ祖父は、国論を二分した一九六〇年の安保騒動のときの首相であり、安保を改定した張本人だったから、かれらにとっては、悪玉どころか極悪人である」(『新しい国へ 美しい国へ完全版』) あの60年安保の時、祖父の岸や母の洋子にはある悲愴感すら漂っていた。大量の警官を国会に導入し、新安保(改定安保)を自民党単独で可決した瞬間、国会に向けた全国の安保阻止闘争は臨界点に達した。 新安保の強行採決(5月20日未明)を巡り岸は、「手続きが異常であることはだれの指摘をまつまでもなく、全員承知の上で踏み切らざるを得なかったのである。いわば、選択の余地はほかになかった」(『岸信介回顧録』)と、異常な採決だったと当時を述懐している。 一方、洋子は、東京大学文学部四年生・樺美智子(22歳)が圧死(6月15日)した報に接し、「突然、鉛のオモリを呑まされたような目まいと吐き気を覚え、恐ろしくなりました。もう安保なんか放り出してほしい、(岸が)たったひとりでそこまで国の責任を背負ういわれはないでしょう、と叫びたい思いでした」(「父 岸信介の素顔」)と生々しく語っている。60年安保は、この国で不幸な出発をしたと思わざるを得ない。 しかし、晋三の視点はあの時代をくぐり抜けた岸や洋子と微妙に異なる。 「祖父は、幼いころからわたしの目には、国の将来をどうすべきか、そればかり考えていた真摯な政治家としか映っていない。それどころか、世間のごうごうたる非難を向こうに回して、その泰然とした態度には、身内ながら誇らしく思うようになっていった。 間違っているのは、安保反対を叫ぶかれらのほうではないか。長じるにしたがって、わたしは、そう思うようになった」(『新しい国へ』) 晋三の原点はそこにある。幼い目で南平台の岸邸の窓から見た「岸打倒・安保反対」に拳を振り上げる群衆の中から岸が「A級戦犯の容疑者」「安保反動の権化」「政界の黒幕」と呼ばれることに反発しながら、政治の道に入ったのである。 晋三が靖国神社を参拝する背景には、「一国の指導者が、その国のために殉じた人びとにたいして、尊崇の念を表するのは、どこの国でもおこなう行為である」(前掲書)との考えがあるからだろう。そこにはA級戦犯容疑者として獄に繋がれた祖父・岸の汚名を晴らそうとする「戦犯の孫」の意志が見てとれる。 晋三にとって岸は政治のシェルパ(案内人)であり、岸がなし得なかった憲法改正の宿題を孫の自分がなし遂げようとする意志が見え隠れする。しかも見過ごすことができないのは、晋三が政権の座にあるということは、岸の娘・洋子が岸家の伝道師として晋三の陰にいるということでもある。 <司令塔としての安倍洋子> 総理の小泉純一郎がまだ49歳の晋三を自民党幹事長に抜擢したのは、03年9月の第二次改造内閣の時だった。 洋子の父・岸信介は、結成されたばかりの自民党初代幹事長(55年11月)、夫の安倍晋太郎は竹下登内閣の幹事長(87年10月)と、三代続いて幹事長が生まれたのである。前代未聞のことだった。ある意味、政治家の家系の極みで、三代の陰でそれを見続けた洋子は、昂奮した面持ちで雑誌のインタビューに応じていた。 「晋三の携帯には次から次へと電話がかかってきて、何事かと思ったんですけど、それでも晋三は言わない。そうしたらお手伝いさんが走ってきて大きな声で、 『晋三さん、幹事長ですって!』 と言うんです。ビックリしましたけど、すぐには信じられませんでしたね。 前に、中曽根裁定で次期総理が夫(晋太郎)に決まったと時事通信が打った時があったんです。昭恵さん(安倍晋三夫人)が外国にいた寛信(晋三の兄)に電話しようとしたので、私は止めました。政治というのは土壇場で何が起こるかわからない。正式に決定するまで、誰にも言っては駄目なんですよって」(『WiLL』06年11月号) 戦後最大の政治闘争を生きた岸の娘として、そして息子・晋三の司令塔として生きている覚悟を窺わせる言葉だ。さらに洋子はこうも語っている。 「晋三が幹事長になる、と聞いてまず初めに思ったのが、晋三の身体のことです。父や夫を見ていて幹事長がいかに大変だったのか知っていますからね。晋三はこれまで神戸製鋼時代も、政治家になってからも一度入院したことがある。あの激務に耐えられるかどうか心配でした。 まぁこれは、昨年(注・03年)の衆院選挙で百八十ヵ所以上まわったところを見ると、もう大丈夫そうですね」(前掲書) しかし洋子の不安は的中する。晋三が総理に就く(06年9月)ものの、松岡利勝農林水産大臣(当時)の自殺や後任の赤城徳彦の事務所費問題による辞任などが相次ぎ、最終的に潰瘍性大腸炎を理由に総理を辞任した。 振り返るに洋子は、父・晋太郎の後を継いだ晋三の出馬(93年)に合わせるように著した『わたしの安倍晋太郎』の中で、晋三に流れる政治家の血についてこう綴っている。 「政治の道の跡継ぎとしての晋三は、主人が、安倍寛と岸信介の信念に生きる芯の強さというものを見てきたように、安倍晋太郎のことはもちろんずっと見てきていますし、安保のときの岸信介のようすも子どもながらに見ております。安倍寛の血といい、岸信介の血といい、なにかのときには命がけで事に当たるというきびしさは、ものの本で読んだというのとはまた違って、身近な空気として体得しているということはあると思います。その覚悟ができていて政治の世界に飛び込むのですから、わたくしに異存があるはずもございません。 ただ、主人が幼時から育ってきた体験にくらべ、物心ついたときには『総理の孫』として育っていた晋三には、まだまだこれから何事にも初めて知ることが多いはずで、それが、わたくしの案じているところなのです」 さらに洋子は晋三が幹事長に就いた当時、彼の性格から政治家の資質をこう見抜いていた。 「ちょっと晋三の姿が見えないと、主人は『どこに行ってたんだ。秘書なんだからしっかりしなくちゃ駄目じゃないか』と叱っていましたが、それだけ気になっていたのでしょう。 『俺も甘いところがあるけれど、晋三も俺に輪をかけたようなところがあるからな』とも申しておりました。 晋三にも強情っ張りな、頑固なところがありますけど、気持ちの優しい、情にもろい一面があります。しかし、難局にあたって、自分の信念を貫くためには、ちょうど父が安保のときに示したような決断、勇気が必要になる。主人はそこを言いたかったのでしょう。 (中略) よく『晋三さんはお父さんの晋太郎さん似ですか、お祖父さんの岸さんに似ていますか』と聞かれます。私からみると、『政策は祖父似、性格は父似』でしょうか。晋三もせっかちで、演説させても早口でしょう。このごろ、わりにゆっくり話せるようになりましたが、政治家になって最初の頃は『あなた、早口過ぎて、お年寄りの方には聞き取れないわよ。それにあんまりキョロキョロしないように』なんて注意していました」(「息子・安倍晋三」) 洋子から見て晋三の政策が岸信介似という指摘は、その後の晋三の政治姿勢を考える上で非常に興味深い。洋子が、マスコミに対し、息子の晋三についてこれほど心情を吐露したことはほとんどない。洋子は晋三の幹事長就任の日、仏前に手を合わせたという。 安倍家の縁戚によると、洋子は寛信・晋三の兄弟が成長するにつれ、「男は何かやるなら政治家。政治家になるなら総理を目指すべきだ」と時に口にしていたという。 <角栄との因縁の対決> 晋三が初当選した93年7月の総選挙は、自民党が過半数割れで、社会党(当時)が減り、新生党と日本新党が躍進し、長年にわたった自民・社会主導の五五年体制が崩壊した年でもあった。 その後、細川護煕を総理に仰いだ非自民連立(八党派)政権が樹立されるも、政権で采配を振る陰の主役は小沢一郎だった。小沢といえば言うまでもなく田中角栄が師であり、角栄の肩越しに政治を見て育った政治家である。かつてその角栄の台頭を敵対視していたのが岸だった。洋子が記している。 「わたくしの知るかぎり、父は過去に二回だけ、見るに忍びないほど落胆した表情を見せたことがあります。一つは安保改定のときにアイゼンハワー大統領の訪日が中止になったときで、もう一つは昭和四十七年の総裁選で福田赳夫先生が田中角栄さんに敗れたときです。この総裁選は、佐藤(栄作)の叔父が兄弟宰相を実現し、七年八ヵ月の長期政権を担当したあとでしたが、父は政策集団の後継者の福田先生が勝つことを信じていたのです。 『総理というのは、ほかの大臣になるのとは違って、だれにでもなれるというものではない。田中は優秀な男だが、人には向き不向きがある。彼が総理になるようじゃ、日本の国はたいへんなことになるよ。彼が総理になるなんて考えられない』と、父は言っておりました」(『わたしの安倍晋太郎』) 岸信介と佐藤栄作という兄弟宰相を輩出した類稀れな閨閥と、馬喰の倅で尋常高等小学校卒業の学歴しか持たず総理にまで上りつめた角栄。岸の来歴からすれば、角栄は語るには論外の、ただの一兵卒だったかもしれない。 一方、岸の流れを汲む福田赳夫もまた一高・東京帝国大学法学部出身の大蔵省エリート官僚だった。その福田が総理の座を争って角栄に敗れ、その後政権を持ったもののその任期が76年からの2年間に過ぎなかったのはなぜだろうか。 角栄が「闇将軍」と畏れられたのは、自民党で群を抜く数とカネで形成した権力を持っていたからだ。しかし、それだけで人心は掴めるものではない。たとえば、角栄は料亭に出向くと運転手、仲居、下足番に至るまで分け隔てすることなく心づけを欠かさなかった。いくら権力やカネがあったからといって、そうそうできることではない。角栄はまわりに言い聞かせていた。 「料亭なんかに行って、不愉快なことがあっても、下足番のおじさんや、仲居さんに絶対あたっちゃいかん。彼らは仕事として我々に接しているのだから、何も言えない。弱い立場の人は大事にしなくちゃいかん」 世間の裏や暗さの辛酸を舐め、人生の術を独学で習得し地べたから這い上がってきたからこそ口をついて出る言葉だった。角栄の人間性、人を惹きつけてやまない人との紐帯はそこに窺える。閨閥や学閥だけでも仰ぎ見られるような存在だった岸信介、福田赳夫には掴みとれない角栄独自の人間性だった。そこに岸・福田が角栄に敗れた理由のひとつがあったように思える。 実は、岸と角栄は政治の世界以外に、ある女を巡って因縁があった。 角栄には子をなすまでの愛人が二人いたことはよく知られる。一人は角栄の金庫番で「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子で、昭子は角栄との間に一人娘・敦子をなした。もう一人は、東京・神楽坂の芸者だった辻和子で、角栄との間に二男一女をもうけた。男の子は京と祐といった。 戦後間もない46年のことだった。その辻が「円弥」という芸妓名で座敷に出ていた19歳の時、田中土建工業を興し戦後の土地ブームで飛ぶ鳥を落とす勢いだった角栄と知り合う。 「円弥」こと辻和子は、持ち前の美貌と才覚で、最盛期で600名の芸者衆がいた神楽坂の花柳界で売れっ子になっていく。角栄は47年4月、衆院議員に初当選し法務政務次官に就任(48年)。辻は角栄の援助を受けながらも座敷に出ていた。 二度目の総選挙(49年1月)から後のことだった。岸信介から「一心」と墨書された幅一メートルもある額入りの書が置屋に届けられたのである。「岸先生から円弥さんに」という伝言があった。 その頃の岸は48年に巣鴨プリズンを釈放後、東京・銀座に箕山社という名の事務所を設立し政界復帰に向け活動を再開している。辻はその岸の座敷に数回呼ばれたことはあったが、書をもらうほどの親しい関係ではなかった。その一件を辻は角栄に隠し通した。ところが、その後も岸は彼女に言い寄ってきたのだった。 辻の知人によると、岸は辻にこう言って口説いたという。 「絵画を一枚やるから、俺の女にならないか」 岸の申し入れを、結局辻は断った。後年、辻は先の知人に「冗談じゃないわよ。絵一枚で口説くなんて」と苦笑しながら語っている。岸が角栄を評し、「彼が総理になるなんて考えられない」と手厳しく語っていた背景には、このような知られざる秘話もあったというのは穿ち過ぎだろうか。 <小沢一郎の転落が招来したもの> 一方、政界の一線から退いた福田は、岸の娘婿である安倍晋太郎を総理総裁候補に担ぐ。しかし、晋太郎は悲運にも志半ばでガンに倒れた。福田が旗揚げした派閥・清和会が独自に政権を獲るには、森喜朗(00年)を除けば01年の小泉純一郎の登場まで35年も待たなくてはならなかった。そして、小泉はまだ49歳の晋三を自民党幹事長に指名し、総理(06年9月)にまで引き上げたのだった。 しかし前述したように、松岡利勝農林水産大臣とその後継大臣の赤城徳彦らの「政治とカネ」の問題が響き、07年7月の参院選で自民党は27議席も減らし、惨敗。晋三は総理を退いた。 その後の総選挙で、事実上小沢一郎が率いる民主党に敗北(09年8月、民主党308、自民党119議席)、政権交代が引き起こされた。岸信介の孫・晋三と角栄の秘蔵っ子として育ち、長い間、政権を牛耳ってきた小沢との因縁の対決は、とりあえず小沢が制したのである。 ところが舞台は再び一転する。 12年7月、消費税増税を巡り小沢は時の野田佳彦政権と対立。小沢は彼に同調する約50名を引き連れて離党し、民主党は分裂した。 この分裂劇の狭間で世に出たのが『週刊文春』(12年6月21日号)に載った拙稿「小沢一郎 妻からの『離縁状』」である。政権交代の立役者だった小沢は、和子夫人が綴った「離縁状」によって一気に窮地に陥る。 そこには小沢の愛人である料亭の元女将のもとに20歳を過ぎた小沢の隠し子(男の子)が存在し、それを巡って小沢から〈あいつ(元女将)とは別れられないが、お前となら別れられるからいつでも離婚してやる〉などの言葉を投げつけられ、一時は自殺まで考えたことなどが綴られていた。 そして、小沢が東日本大震災の被災地となった故郷・岩手の人々を顧みず、それどころか原発事故による放射能被害を怖れて東京から真っ先に逃げ出そうとした姿に触れ、〈こんな男を国政に送る手伝いをしてきたことを深く恥じています〉と、十一枚の便箋に赤裸々に告白していた。 私は驚愕した。小沢が角栄の仲立ちで和子と結婚したのは73年10月のことだ。それから三人の息子をなし、40年近くも連れ添った和子が、小沢という人間の本性を白日の下に晒したのである。 小沢の虚像は剥げ落ち、陰の主役の座から滑り落ちた。それは自壊と言うべきもので、離縁状の放った一矢は、ギシギシと音を立てて歴史の歯車を回した。当時東日本大震災から1年余りにもかかわらず、日がな政争に明け暮れる民主党政権に一石を投じ波紋は広がった。 民主党分裂と小沢の瓦解。その敵失に乗じて、晋三を総裁に仰ぐ自民党は12年12月の総選挙で圧勝し(自民党294、民主党57議席)、政権交代劇はわずか3年3ヵ月で潰えた。角栄の軛は、岸の孫・晋三の代で小沢が瓦解することで解かれたのである。 <洋子は父の無念を息子に託す> それから2年経った14年11月。晋三は衆議院の解散に踏み切った。1ヵ月後の総選挙で、政権与党の自民党291議席・公明党35議席の計326議席と、定数の3分の2(317)を上回る議席を獲得した。 国会による憲法改正の発議には、衆参両院で3分の2以上の賛成が必要だ。自公で衆院は3分の2を維持したものの、参院の3分の2(162議席)には28議席(議長を除く)足りない。 総選挙投開票の夜、テレビ東京の番組に出演(電話)した晋三は、ジャーナリスト・池上彰が「憲法改正が視野に入ってくる。やはりご自身の手で成し遂げたいか」と問うと、こう答えた。 「国民的な必要です。3分の2の勢力をつくったとしても国民投票で過半数の支持を得なければなりません。そこから理解を得ていきたい」 池上が再び、「憲法改正に向けて一歩一歩進めていくということか」と質すと、晋三は「そういうことです」と応じた。 祖父から孫に引き継がれる念願の憲法改正。国が岐路に立つ時に岸信介を意識する晋三を見ていると、彼の心の拠り所には波瀾に富んだ岸信介の生涯と、それを伝承する生き証人と言うべき岸の娘・洋子の存在が重きをなしているように思えてならない。 御殿場に居を構えた岸は、『岸信介証言録』の中で、インタビュアーの原彬久から「もう一度総理大臣をやりたいとはお考えになりませんでしたか」と問われ、こう答えている。 「いや、そりゃあね、もう一遍私が総理になってだ、憲法改正を政府としてやるんだという方針を打ち出したいと考えたんです。私が総理を辞めてから、あまりにもだな、池田(勇人元総理)および私の弟(佐藤栄作元総理)が『憲法はもはや定着しつつあるから改正はやらん』というようなことをいってたんでね。 私が戦後の政界に復帰したのは日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったためなんです。だからこの改憲気運をもう少し盛り上げる必要があった。 憲法の『定着』をいまの鈴木(元総理)もいうてるけど……。いまの憲法がどのようにしてできたのか、その内容がどういうものであるのか国民は関心がないというよりは、知らないんだよ。この憲法があれば戦争がないのだと思っているが、そんなものではない。憲法を改正したら戦争になる、というのではないんだ」 憲法第9条(平和主義)の第1項(戦争の放棄)、第2項(戦力の保持、交戦権の不認)を軸にした改憲に、岸は並々ならぬ意欲を抱き、その志を遺していった。 東京・永田町の議員会館の晋三の部屋に置かれた屏風に、ある墨書がしたためられている。 「逢龍」 12年辰年の初頭、洋子がわが子、晋三に「昇り龍に会えるように」と筆を取ったもので、その年の師走、晋三は二度目の総理に就いた。未完で終わった岸の憲法改正を洋子は息子の晋三に託そうとしている。 一方で、洋子を中心軸に岸から晋三に繋がる脈々とした血族の傍流というべき存在が安倍晋太郎、安倍昭恵、岸仲子らのように思える。三人とも、岸が頂点の閨閥の流れから見れば他人だった。そこには彼らのもう一つのドラマがあった。                                              わたし(横田)は、安倍晋三首相が「絶頂の一族」との大きな錯覚から、憲法改正をやり遂げようとする考えには反対です。同時に日銀の黒田総裁は、金融緩和のための国債買い入れを進めて、もうすぐ日銀破綻まで来ています。今、世界が大変革にあります。米、欧、中国・・・は、景気の成長を目指してきましたが、これからは安定期から衰退期に入ります。日本は、20数年前から安定期から衰退期に入っています。安倍首相が退陣して以後、早く本当の実力者が首相になることを期待します。バブルがはじけて1990年以来、本当に新しい時代がやっと来るのです。
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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1523)
わたし(横田)は、昨日森友学園籠池理事長の証人喚問を見ていました。安倍首相が、「わたしと妻が森友学園の国有地に関係していることがあれば、首相と国会議員をすぐにやめます。」と言っていました。                                  安倍晋三首相の昭恵夫人は23日夜、衆参両院の予算委員会で同日、大阪市の学校法人「森友学園」の籠池泰典氏に対する証人喚問が行われたのを受けて、自身のフェイスブック(FB)に「私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません」と投稿し、重ねて否定した。 籠池氏が喚問で、昭恵夫人が27年9月5日に講演に訪れた際、「私と2人きりの状態で『安倍晋三からです』と封筒に入った100万円をくださった」と主張していることについても反論。「私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました」と書き込んだ。 昭恵夫人がFBに投稿したコメントは次の通り。 ◇ 本日の国会における籠池さんの証言に関して、私からコメントさせていただきます。 (1)寄付金と講演料について 私は、籠池さんに100万円の寄付金をお渡ししたことも、講演料を頂いたこともありません。この点について、籠池夫人と今年2月から何度もメールのやりとりをさせていただきましたが、寄付金があったですとか、講演料を受け取ったというご指摘はありませんでした。私からも、その旨の記憶がないことをはっきりとお伝えしております。 本日、籠池さんは、平成27年9月5日に塚本幼稚園を訪問した際、私が、秘書に「席を外すように言った」とおっしゃいました。しかしながら、私は、講演などの際に、秘書に席を外してほしいというようなことは言いませんし、そのようなことは行いません。この日も、そのようなことを行っていない旨、秘書2名にも確認しました。 また、「講演の控室として利用していた園長室」とのお話がありましたが、その控室は「玉座の間」であったと思います。内装がとても特徴的でしたので、控室としてこの部屋を利用させていただいたことは、秘書も記憶しており、事実と異なります。 (2)携帯への電話について 次に、籠池さんから、定期借地契約について何らか、私の「携帯へ電話」をいただき、「留守電だったのでメッセージを残した」とのお話がありました。籠池さんから何度か短いメッセージをいただいた記憶はありますが、土地の契約に関して、10年かどうかといった具体的な内容については、まったくお聞きしていません。 籠池さん側から、秘書に対して書面でお問い合わせいただいた件については、それについて回答する旨、当該秘書から報告をもらったことは覚えています。その時、籠池さん側に対し、要望に「沿うことはできない」と、お断りの回答をする内容であったと記憶しています。その内容について、私は関与しておりません。 以上、コメントさせて頂きます。 平成29年3月23日 安倍昭恵                                                                 しかし、秘書である谷査恵子氏が、昭恵夫人の講演などの際に、「秘書に席を外してほしいというようなことは言いません」との指摘に対し、当日講演会で一番うしろで見ていた瞬間が捉えられていたのです。 3月23日に放送されたテレビ東京の番組「夕方サテライト」が、国会で疑惑の人物として浮上している安倍昭恵夫人の同行人だった谷査恵子(たに さえこ)氏を取り上げました。谷査恵子氏は籠池理事長からの問い合わせに対して、昭恵夫人の代理人としてFAXで返答した人物です。 国会で行われた証人喚問で籠池理事長が指摘した人物で、FAXも持ち込んで内容を読み上げました。夕方サテライトは森友学園の塚本幼稚園で行われた講演会に谷査恵子氏が居たとして、保護者たちの一番後ろで見ていた瞬間を紹介しています。 政府側は「安倍昭恵夫人を一人にしたことはない」と反論していましたが、映像を見ると籠池理事長が昭恵夫人と個人的なやり取りが出来るような位置関係にあったと言えるでしょう。                                                                                                          わたし(横田)は、世界が大変革の時代に突入していると考えます。アメリカの保護主義はいよいよ本物になりつつあります。ヨーロッパは、EUの解体が始まっています。中国は、トランプ大統領が誕生した影響で、どうしてよいかわからないフラフラ状態です。日本も安倍首相が早く辞任して、大変革の時代にふさわしい人が現れてきます。NHKBSの海外のニュースを見ていると、ロシアが一番良い政治状況であるように錯覚します。大変革の時代には、ひとりひとりが生活を根本から考え直さないといけないのです。今までの生活を無理に持続させようという目論見から脱しないと、本当に人生を崩壊させてしまうこともあるのです。その結果があと2〜3年ではっきりします。
| 経済 | 05:19 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1522)
今回は、東洋経済が「株式会社ほぼ日」の株式公開が3月16日に決まったことを受けて、糸井重里氏にインタビューしたものです。 「早く社長から解き放ってくれ、というのが僕の意思。イノベーションに関わることなど、社長よりも得意なことがあると思っている。2〜3年ぐらいは会社に通うけれど、“しょうがないジジイ”だなと言われる存在に早くなりたい」――。 コピーライターの糸井重里氏が設立した「株式会社ほぼ日(ほぼにち)」は3月16日、ついに東京証券取引所のジャスダック市場に株式上場を果たす。2月21日に開かれた上場前説明会で、現在68歳で社長を務める糸井氏が、「ポスト糸井」の後継者などについて聞かれて答えたのが冒頭のコメントだ。「そういう目で組織を見ているし、外から入ってくださる方がいるとしたらどういう方なのかなと探している最中」と糸井氏は続けた。 社名については、糸井氏が1998年6月に開設したウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の略称「ほぼ日」に由来する。株式会社としては2002年10月に東京糸井重里事務所の社名で設立され(同名の個人事務所設立は1979年)、上場を控えた昨年12月に現社名に変更された。 社名変更の理由について糸井氏は、「ほぼ日刊イトイ新聞をスタートさせて、個人の仕事を管理する事務所でなく、はっきりとチームで何かを実現させていく会社に変化してきたから」と、社名変更時の挨拶文の中で述べている。今回の株式上場も、個人商店からチーム運営のパブリック企業へと進化していく重要な一歩といえそうだ。 糸井氏をはじめとする書き手によるウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で、糸井ファンともいうべきコアな読者層を集客。そのうえで、自社で企画・開発した商品を紹介し、直接顧客に販売するビジネスモデルを構築している。 ウェブサイト自体は読者への有料課金はなく、誰でも無料でコンテンツを読める。一方、広告は原則として掲載せず、広告料収入はない。つまり、もっぱら自社企画・開発の商品を販売することで収益が成り立つ。新規上場時に東証が割り当てた業種別分類も、メディア企業が多く分類されている「情報・通信」でなく、「小売業」であるところに同社の特徴が表れている。 足元の業績は順調だ。前2016年8月期(2015年9月〜2016年8月)の実績は売上高が37億6700万円、営業利益が4億9900万円。営業利益率は13.3%と2ケタを軽くクリアする。進行中の今2017年8月期も売上高は38億1700万円、営業利益5億円、営業利益率13.1%を見込み、新規上場企業としてはすこぶる堅実だ。ただ、前期比での伸びは売上高が1.3%増、営業利益が0.2%増と成長力で際立つわけではない。高水準ながらも堅実すぎる業績動向を、新興銘柄市場の投資家がどう判断するかが上場後の株価にも影響してきそうだ。 同社最大のヒット商品は2001年に販売を開始した「ほぼ日手帳」で、売上高全体の実に7割を占める。一昨年販売の「2016年版」の販売部数は前期比約6万部増の61万部。昨年9月から販売している「2017年版」は64万部程度になりそうだ。 ほぼ日手帳はインターネット直販のみならず、ロフトの全国店舗でも販売され、ロフトの手帳部門では、取り扱いを始めた2005年版以降、12年連続で販売数第1位を記録している。 海外向けにも、2013年版から英語版の手帳を発売。口コミに加え、同社の側でも英語版サイト開設や中国版SNS「Weibo(微博)」への情報発信を始めたことが奏功。前2016年8月期の海外売上高は、ほぼ日手帳の販売が国内向け以上に好調なことから、中国が3億7900万円、米国が1億1700万円など合計6億3000万円に上り、同社の売上高全体の16.7%を占めるに至っている。 ただ、同社が東証に提出した「新規上場申請のための有価証券報告書」の「事業等のリスク」欄を見ると、「特定商品への依存度に関するリスク」として、ほぼ日手帳への依存度の高さに言及。法人向けではなく個人向け中心の「ほぼ日手帳」の市場は比較的底堅いとみられるが、中長期には、それに次ぐ柱となりうる自社企画・開発商品の育成は待ったなしともいえる。 すでに同社は、腹巻きや「水沢ダウン」などのアパレル、「カレーの恩返し」などの食品、各種の書籍といった分野でそれなりのヒット商品を生み出し、手帳以外の「ほぼ日商品」の売り上げ構成比は全体の22%まで育っている。加えて、今回の株式上場に伴う調達資金(手取りで5億円強)も投じて、昨年6月からリリースしている犬や猫の写真SNSアプリ「ドコノコ」や、新コンセプトの展示イベント「生活のたのしみ展」、スマホアプリと連動する新商品「ほぼ日アースボール」などの運営や企画・開発を進めていく予定だ。 「今、売り上げ貢献という意味では、僕自身の存在はパーセンテージとして、とても小さくなっている。ドコノコなど3つの新事業についても、タネの段階では一生懸命やったけれど、そこから育てるのは僕の人脈なんかに頼らなくても、ほぼ日の信頼感だけでだいぶできるようになっている」(糸井氏)。 ほぼ日は今回の株式新規上場を機に、これまで経営依存度が高かった「手帳」「糸井重里」から次を模索するステージに突入する。投資家のみならず、ほぼ日の事業を支えてきた読者や顧客の評価をいかに勝ち取るか。それが、糸井氏にとって、ほぼ日社長としての仕上げの仕事になるかもしれない。                                                         わたし(横田)は、ほぼ日の株式公開価格2350円を2.3倍上回る5410円買い気配のまま取引を終えたのには驚きました。 2007年のサブプライム住宅ローンが起きて、住宅ローンの大幅な悪化とともに危機的状態となった住宅会社であるファニーメイとフレディマックが倒産し、2008年リーマンが破綻したのです。世界的な経済の冷え込みから消費の落ち込んで、その中で欧米日の中央銀行が金融緩和という「量的緩和政策」を取り始めたのです。しかし、世界全体の債務総額はIMFによると2016年152兆ドル(1京5640兆円)でした。これは、世界のGNPの225%に当たります。しかも、世界全体の債務総額は、2002年から200%(2倍)に増え続けています。中央銀行が金融緩和をしても、政府と企業(債務者)の借入金は減少しないのです。「量的緩和」(通貨供給量の増加)によって、金融資本主義が株式市場を上昇させ、一方実体の企業資本は株式市場の20%~25%にとどまるのです。「金融」資本主義つまり株式市場が、「実体」の企業資本にゲタを履かせたのは30年前からです。そして世界中で大暴落が発生しようとしているのに、ほぼ日が今頃株式公開するとは・・・。 わたしは1〜2年以内に、株式市場は実体の企業資本に近づくと思います。インフレで債務者(政府と企業)の借入金を相対的に減少させようという政府の目論見は、大きくはずれたのです。
| 経済 | 04:31 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1521)
今回は、WikiLeaksがネットで発表した「CIA本部の機密資料」からです。 WikiLeaksによると「Vault 7」は2013年から2016年にかけて収集された機密資料で、CIA本部のサイバー・インテリジェンス・センターに保管されていた8761点にも及ぶ文書からなっています。数千億行以上に及ぶ機密資料は、アメリカ政府関係者やハッキングを請け負うハッカーに無許可で配布されたそうで、そのうちの一人がWikiLeaksに資料を提供したと入手経路を説明しています。 CIAは2001年の同時多発テロ以降、国家安全保障局(NSA)に対して予算編成上、政治的な優位性を持っているとのこと。そのため、官僚組織ではライバルであるNSAに対して独自の技術を公開する義務をCIAは免れることができており、今では5000人以上からなるCIAハッキング部隊はトロイの木馬、ウイルス、マルウェアなど1000を超える独自のハッキングツールを駆使しており、Facebookが運用しているコード数以上のコードを利用しているほど、ハッキング能力を蓄えてきたとWikiLeaksは述べています。 WikiLeaksによると、CIAのマルウェアやハッキングツールはCIAのDirectorate for Digital Innovation(DDI)直轄のCenter for Cyber Intelligence(CCI)のソフトウェア開発部門のEngineering Development Group(EDG)が開発しているとのこと。WikiLeaksはCIAの組織図まで公開し、組織の実態を丸裸にしています。 ・<テレビ> WikiLeaksによると、CIAはSamsungのスマートテレビをハッキングするツールをイギリスの諜報機関MI5と共同で開発したとのこと。スマートテレビに侵入すると、テレビをフェイクの「電源OFF」モードにして、実際にはテレビがONになっているのにユーザーにはOFFの状態であるかのようにだまし、部屋の会話を録音してインターネット経由でCIAサーバーに送信していたとのこと。なお、Samsungのスマートテレビのサービス規約は2015年に「テレビは音声データをキャプチャーすることがあり、音声データはサードパーティに提供されることがあります」と改定されているとNew York Timesは指摘しています。 ・<Android> CIAはスマートフォンをハッキングするため、85%近い世界シェアを持つAndroidを攻撃するツールをCIA独自で開発するだけでなく、GCHQ、NSA、サーバー攻撃請負企業から購入し、2016年には24個のツールを備えていたとのこと。これにより、CIAはWhatsApp、Signal、Telegram、Wiebo、Confide、Cloackmanの暗号化機能をバイパスすることができ、暗号化される前に音声データやメッセージのトラフィックを収集することができるとのこと。 ・<iPhone> シェアが14.5%とAndroidに比べると少数派のiOSですが、もちろんCIAはターゲットにしています。iPhoneやiPadに感染して、端末のコントロール権を奪ったりデータを抜き出したりするマルウェアを開発するために、CIAはiOS専用のハッキングチームを編成していたとのこと。CIAは独自開発したiOSハッキングツール以外にも、GCHQ、NSA、FBI、サイバー攻撃組織から入手した多数のサイバー兵器を持っているとしています。ビジネス、政治、外交における「エリート層」に人気のあるiPhoneゆえに、シェアが小さくても特別な編成を採っている可能性をWikiLeaksは指摘しています。 ・<Windowsなど> CIAはWindows PCに感染して外部からコントロールするために大きなリソースを割いているとのこと。Automated Implant Branch(AIB)という部門によって複数の攻撃システムが開発されています。また、Windows、Mac OS X、Solaris、Linuxなどの複数のプラットフォームに対応するマルウェアも開発しているとWikiLeaksは述べています。 ・<自動車> WikiLeaksによると、CIAは2014年10月に高度にコンピューター制御された自動車やトラックをハッキングすることを計画していたとのこと。資料では自動車を乗っ取る目的については明確にされていませんが、WikiLeaksは自動車を制御して事故を起こさせてターゲットを暗殺することだと推察しています。 ◆<脆弱性の悪用> アメリカ政府はVulnerabilities Equities Process方針でソフトウェアに見つかった脆弱性の情報を公開していますが、CIAは公開されていない脆弱性情報を持ち、これを悪用しているとのこと。WikiLeaksによると、CIAの特定のマルウェアは大統領のTwitterアカウントを管理するAndroid・iOS両方のソフトウェアに感染してコントロールすることができるそうです。このマルウェアは未公開の脆弱性を悪用していますが、CIAが情報を隠す限り、修正されることはなくハッキング可能な状態が続きます。 ◆<EU諜報活動の拠点・フランクフルトの領事館> WikiLeaksはドイツ・フランクフルトにあるアメリカ領事館が、ヨーロッパ、中東、アフリカの諜報活動の拠点であると暴露しています。フランクフルト領事館に出入りするCIAのハッカーは、黒色背表紙の外交用パスポートを発行されており、「旅行の目的は?」と聞かれれば「領事館で技術的な支援を行います」と答えることで、ドイツの税関をスムーズに通過できるとのこと。フランクフルトで活動するCIAハッカーは、フランス、イタリア、スイスなど25のヨーロッパ諸国を自由に移動可能です。 多くのCIAの電子攻撃は物理的接触を考慮して設計されているとのこと。マルウェア入りのUSBメモリーを使って対象となるPCを攻撃することで、警察データベースなどインターネットから切り離されたネットワークへも侵入することができるとWiKiLeaksは指摘しています。 WikiLeaksが「the largest intelligence publication in history(歴史上、最大の知的出版物)」と呼ぶ「Vault 7」についてCIAの広報担当者のディーン・ボイド氏は「CIAは諜報文書の真正や内容についてコメントしない」とNew York Timesに対して答えており、Vault 7の真実性については明らかではありません。しかし、WikiLeaksは「CIAのハッキング能力は委任された権限を超えている可能性があり、公的に議論されるべきだ」と述べているとおり、サイバー攻撃やプライバシーの侵害、国家安全保障や民主的統制の問題を提起して公的な議論を始めることが目的だとのこと。今後、さまざまな観点からVault 7が精査されてCIAの運用が議論されることになりそうです。 なお、かねてからWikiLeaksのリーク情報は、国家の安全保障に重大な影響を及ぼしかねないという批判があったことを考慮したのか、具体的な職員の名前や組織名などは識別情報に置き換えており、また「兵器」に関するコンピューターコードは公開の合意が得られるまで非公開にすると述べています。ちなみに、今回公開されたVault 7は一連のシリーズの序章に過ぎず、今後もさらに情報が公開される予定だそうです。                                       わたし(横田)は、WikiLeaksが公開したVault 7が「CIAを解体する」きっかけになる のではないかと思います。それはアメリカ国家の安全保障に重大な影響を及ぼしかねないという批判が多いからです。ケネディ大統領が暗殺された真犯人は、CIAだという議論があります。それは当時ケネディ大統領が「CIAを解体する」という考えがあったからです。今、トランプ大統領も「CIAを解体しようか」という案があるように思います。まさしくオリバーストーン監督の映画「スノーデン」と同じ「CIAの解体」です。CIAは、世界各地でテレビ・スマホ・パソコン・自動車などのコンピューターから電子攻撃をするスパイを大きく解き放っているからです。今年すでに起き始めている世界中の大変革が始まっているのです。日本は、今までのようなアメリカ追随型は終わりです。トランプ大統領が安倍首相に、「日本のことは自分たちで考えなさい」と言っているのです。日本も政治・経済が新しいリーダーの登場を待っているのです。
| 経済 | 05:23 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1520)
今回は、去年11月に東洋経済に載った水野和夫氏「トランプ後の世界は中世に回帰」(アメリカは自らグローバル化に幕を引いた)からです。 現代を生きる私たちは、今日よりも明日がよりよくなることを疑わず、日々生活しています。こうした「成長への信仰」は、20世紀における人口の大量増加と、それに伴う資本主義システムの確立によって成り立っています。しかし、今後も世界は成長を続けていくと断言することはできるのでしょうか。 日本やドイツのマイナス金利導入、先進国における人口減少予測、そしてイギリスのEU離脱などを見るにつけ、世界がこれまでと変わらない歩みを続けていくことをにわかに信じることはできません。先進国の人口が減少に向かい、そして経済が成長を止める中、世界はいったいどこへ導かれていくのでしょうか。 私は、現代社会と中世ヨーロッパとの間にいくつかの共通点を見出し、現代は今まさに、「中世への回帰」という流れの中にあると考えています。 経済の観点から見ると、ヨーロッパ中世(500〜1500年)はゼロ成長の時代でした。西ローマ帝国が滅んだ直後から中世が終わるまでの間(500〜1500年)、世界の1人あたりの実質GDP成長率は、わずか年0.03%(500年間で1.35倍)です。 それが近代(1500〜2010年)になると、実質GDP成長率はぐんと上がり、年0.22%となります(同期間で26.9倍)。特に第2次世界大戦後の1950年から、石油危機直後の1975年までの成長率は著しく、世界の1人あたりの実質GDPは年3.4%となりました。 ところが、日本が金融危機に直面した1997年から2015年までの1人当たり実質GDPは、年0.6%です。名目GDPで見ると、同期間で年マイナス0.6%になります。中世の成長率よりはまだましですが、名目利子率から期待インフレ率を差し引いた「自然利子率」がゼロ、ないしはマイナスであることを考えると、今後は中世のような定常経済と大きくは変わらない状況になると予想されます。 人口減少社会が到来していることも、中世に共通しています。中世の人口は、減少してこそいないものの、その増加率は年0.08%と、ほとんどゼロ成長でした。一方、近代(1500〜2015年)の人口増加率は年0.54%で、とりわけ戦後(1945〜1975年)は年1.82%と、人口爆発の時代となります。そして、それは同時に資本主義の黄金時代でもありました。 しかし、これは例外中の例外です。21世紀の前半に入ると、人口増加率はあっという間に減速し、2015〜2050年には年0.80%になると予想されています。産業革命から第2次世界大戦まで(1850〜1945年)の増加率、0.66%とほぼ等しくなるということです。 21世紀の後半には、年0.28%の増加率となり、産業革命前(1500〜1850年)の増加率である年0.29%とほぼ同水準です。現代でも人口が増加を続けているアフリカを除けば、さらにマイナス0.12%となり、ついに世界が人口減少の時代を迎えることになるのです。 2016年6月23日、イギリス国民はEUからの離脱(Brexit)を選択しました。これも「中世への回帰」の動向から理解することができます。EUはEuropean Union(ヨーロッパ連合)の略であり、ヨーロッパは「中世の創造物」だからです。これを理解するためには、まずヨーロッパという概念がいつからでき上がってきたのかを検討していく必要があります。 ヨーロッパは、地中海世界と北部ヨーロッパが一体化する過程で、徐々にその姿を現してきました。その原型は、およそ800年前にあり、現在のドイツ、フランス、ローマを含む北部イタリア、そしてバルセロナを含む北部スペインにあたる地域でした。そこで重要なのは、その中にイギリスが含まれていなかったことです。 この史上初のヨーロッパ形成体は、アラブ人が地中海を閉鎖したことで崩壊しました。現在のヨーロッパの大きな課題の1つであり、イギリスのEU離脱の原因の1つともなったのが、アラブや東欧からの移民問題であることを思うと、中世と同じ問題に直面していることが分かります。 ヨーロッパへの脅威は、いつも東から来ます。北は北極海、南はサハラ砂漠、西は大西洋といった天然の要塞で守られているのですが、東は無防備なのです。EUの中で人の移動を自由にした結果、「陸の国」である東欧や中東からの移民流入に対して、「海の国」イギリスは自国の秩序が守れなくなったので、EU離脱を選んだのです。 一方、アメリカにおけるグローバリゼーションの幕引きは、オバマ大統領から始まったといえます。クリントン、ブッシュ大統領が続けてきたグローバリゼーションは、イスラームの反撃という形で世界の平和秩序を破壊するようになりました。 アメリカ国民がトランプを支持するのは必然だった オバマ大統領は、このことを受けて、アメリカが「世界の警察」であることを辞めると宣言したのです。しかし、平和秩序を保たないものが、経済秩序だけを保つことはできません。あの発言から、グローバリゼーションの終わりが始まりました。 そして2年前、ピケティ氏の「1%対99%の格差」の言説は、グローバリゼーションを通して貧困に苦しむ多くの人々に「反エスタブリッシュメント(反既存体制)」という目標を与えました。現状を維持しようとするクリントン氏と、反資本主義、孤立主義など、この反エスタブリッシュメントを支持する人々の心に響くフレーズを連呼したトランプ氏が戦った大統領選において、国民がどちらを選択するかは、明白でした。 そして、トランプ氏が大統領として選挙公約を守るとすれば、アメリカは自らの手で推進してきたグローバリゼーションに幕を引くことになるのです。 ドイツの法学者であり、政治学者でもあるカール・シュミットは、世界史は「陸と海との闘い」であると定義しました。市場を通じて資本を蒐集するのが「海の国」であるのに対して、「陸の国」は領土拡大を通じて富を蒐集します。どちらも蒐集の目的は、社会秩序の維持です。 フランク王国に起源をもつヨーロッパは「陸の国」ですが、近代を作ったのはオランダ、イギリス、アメリカといずれも「海の国」です。「陸と海との闘い」において、近代とは「海の国」の勝利の時代でした。 しかし、今はそれが揺らいでいます。「海の国」がもっとも恐れていたこと、すなわち世界最大の大陸であるユーラシアの一体化が現実味を帯びてきたのです。 そしてまさに、米大統領選においても、トランプが大統領に就任したことによって、TPPをはじめとしたグローバリゼーションは収斂に向かい始めました。「海の国」である英米が、グローバリゼーションを推進することにより、地球が1つになったかに見えたまさにその瞬間、「陸の時代」へと逆向きの力が作動し始めたというわけです。これも中世への回帰の流れの1つと言えます。 19世紀半ば以降、蒸気の力を得て発達していった近代社会の原理は、「より早く、より遠くに、より合理的に」でした。そしてそれは、資本経済社会を支配してきた「成長」という概念にほかなりません。 21世紀は「よりゆっくり、より近く、より寛容に」 しかし、「より遠く」は、太平洋をノンストップで飛行するジャンボジェットの引退で、「より速く」は、大西洋をマッハ2で横断したコンコルドの運航停止で、そして「より合理的に」も、最も効率的エネルギー源であった原子力工学における安全神話が、2011年の東日本大震災で自然の力の前にあっけなく崩壊したことで、それぞれ限界を迎えたと言えます。 もはや「物理的・物的空間」にはそれらの成長を実現する場所はありません。 21世紀のシステムは、20世紀の延長線上ではなく、潜在成長率がゼロであるということを前提に構築していくことが必要です。それにのっとれば「よりゆっくり、より近く、より寛容に」が、21世紀の原理であるのです。 これを資本主義の中核を担っていた株式会社に当てはめれば、減益計画で十分だということ、現金配当をやめること、過剰な内部保留金を国庫に戻すことです。 おそらく2020年の東京五輪くらいまでは、「成長がすべての怪我を治す」と考える近代勢力が力を増していくでしょうが、それも向こう100年という長期のタイムスパンで見れば、ほんのさざ波に過ぎません。この22世紀へ向かう大きな潮流こそが、「中世への回帰」であるといえるのではないでしょうか。                                                 わたし(横田)は、英米「海の国」のグローバリゼーションから、ユーラシアの「陸の国」へと逆向きの力が作動し始めたことに賛成です。グローバリゼーションの終わりが始まったのです。資本主義経済の「成長」が終わりを迎えたのです。いままでは、「より早く、より遠くに、より合理的に」だったのを、これからは「よりゆっくり、より近く、より寛容に」なっていくのです。まさに株式会社は「成長」ではなく、「減益計画」になります。地球上にもはや「物理的・物的空間」、それらの成長を実現する場所はないのです。これからは、今までとは全く正反対の「停滞」が続く社会が訪れてきます。それが22世紀へと向かう潮流です。現在の株価であるダウとか日経平均をみると、どちらも異常に上昇しています。これは、レバレッジ効果で通常の株価よりも5倍以上増加させているのです。これから、1〜2年以内に株価が2割まで落ち込むことが予想されます。つまりレバレッジ効果がなくなることです。そうすると30年以上前の株価と同じになります。
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