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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1536)
今回は、6月25日の糸井重里氏が書いている「今日のダーリン」からです。                                      ほんとうにたくさんの人が死ぬ。                      生まれる人もたくさんいるのに、                          そのことを忘れそうになる。                            どこかでひとり生まれたからといって、                        だれかが死んでいいということにはならない。                         でも、人はかならず死ぬということについては、                     ひとつの例外もない。                                                                             こんなことを書いているぼくも死ぬし、                         「そうだな、イトイもそのうち死ぬな」                         と読んでいるあなたもやがてはかならず死ぬ。                     そういう意味では、みんなみんなおなじだ。                                                                  お墓の前で泣かないでくださいという歌があった。                                 そこにわたしはいません、ということばが続く。                     あらま、亡くなった人がいない場所で、                         ぼくらは祈ったり泣いたりしてきたのか。                        そう言われても困るとかも思ったし、                           たしかにそうかもしれないとも思う。                                                                      ではどこにいるのかと考えたくもなるのだけれど、                    どこにいようがいるまいが、かまわない。                                                                   その人が生きたせいで、ここにあるもの。                         そいつが、生き続けているのだ。                                                                        こどもがいたら、こどもはまさしくそういう存在だ。                     その人が買ったもの、つくったもの、書いたもの、                     その人が語ったことば、怒ったもの、悲しんだもの、                     その人が抱きしめたもの、その人が育んだもの、                       その人が別れたもの、その人が歩いた道、                          その人が吸った空気、その人が祈ったこと、                         すべて、そのまま、その人が死んだからといって                       いっぺんに消えたわけではない。                              そして、ものも、ことばも、場所も、思いも、                        その人が死んだあとも、続きを生きている。                                                                      それを「あの人は生きている」と、言っていいと思う。                    お墓にいようがいるまいが、どこでも続きをやっている。                   ぼくが死んでも、そうなると思うと、なんだかうれしい。                                                                 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。                   生きているうちは、じぶんがじぶんの続きをやっている。                                                                わたし(横田)は、「人間が死んだあとのことについて」随分考えてきました。わたしが高校生の時に、わたしの親友が一年間に3人別々に自殺をしました。わたしは、死をどう考えたら良いか、鴎外・漱石・龍之介・太宰治の文学全集を読みました。一方、わたしの友人は、3ケ月間は思い悩んだのですが、すぐに日常に戻っていきました。わたしは一人で「死」について考えました。2年くらい経った時に、「死」だけではなく「生」について、もう一度考え直そうとしました。その時、わたしが購読していた「試行」を出版していた吉本隆明さんに長い手紙を書きました。次に送られてきた「試行」に吉本隆明さんの返事が小さな紙に書いてありました。「十代後半で、友人の日常性と縁を切って、一人で生と死を考えることは貴重なことです。いつかきっと役に立ちます。」 糸井重里氏が、晩年の吉本隆明さんに会った時に、「人とある時出会ったときに、自分が一番身分の低いものとして意識をするように」と言ったのです。これには感動しました。わたしが40歳になったときに、青木盛栄先生と出会いました。青木先生とは3年間しか勉強することができなかったのですが、その間「生と死」について多くのことを学びました。青木先生は、「生と死」は自然界の言葉です。そこにはふつうに「生と死」しか考えていません。そのうえには、大自然の法則があるのです。そこでは「生と死」は、対立するものではなく、見事に融合しています。宇宙も同じです。わたしたちが知っている宇宙よりも、次元が違った「大宇宙の法則」があるのです。わたしは現在66歳ですが、「生と死」が融合するようにもっと勉強しなければなりません。
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