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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1532)
今回は、ウィキリークスのジュリアン・アサンジ氏についてです。著者は、「私は東京都内で一人暮らしを満喫している、35歳の女性です。私の得意なことは、英会話です。」ということです。 ジュリアン・アサンジ(Julian Paul Assange, 1971年7月3日生)は、1971年、オーストラリアにある小さな島で生まれました。ヒッピーのような、ボヘミアンのような自由奔放を求めた両親を持ち、その両親がアサンジ氏の幼い頃に離婚してから転居を繰り返すようになります。母親に連れられて引っ越しを繰り返し、転校した数は16才までに37回にもなったということです。当然、そのような状況で、若いジュリアンは友達を作ることはできませんでした。 彼が小学生の時分に、ホームコンピュータの先駆けとなった「コモドール64」を購入してから、バーチャルな世界に身を置くようになります。幼いジュリアンにとって、この小さなコンピュータは、どこへ行こうと自分のそばにいてくれる親友となったのです。この頃から、ジュリアン・アサンジ氏のコンピュータ人生、そして一定の居住地を持たない旅の人生が始まったといえるでしょう。 彼は16歳の誕生日を迎えた時、ついにモデムを手に入れました。時代はまだ80年代終わりで、ホームコンピュータが全く浸透していない頃のことです。これは、彼が初めてネットワークで世界と繋がったことを意味する、人生最初の転機と呼ぶに相応しいでしょう。アサンジ氏には、並外れた知能指数があると言われています。その抜群の頭の回転でコンピュータのシステムを網羅し、やがて天才ハッカーへと変貌を遂げていったのです。ジュリアン・アサンジは、コンピュータサイエンスにおける抜群の感性の鋭さで、瞬く間にハッキングのスキルを独学で身につけていきます。 アサンジは「メンダックス」というニックネームで、ハッキングの世界で知られていきます。最初のハッキングの成功は、オーストラリアの電話会社の「ミネルバ」というシステムへの侵入で、その後は親しい二人のハッカー仲間と共に活動していきます。メンダックスが初めて世界で注目されたのは、1989年、NASA宇宙局システムへ侵入したときのことでした。危険な核物質を11キロも詰め込んだスペースシャトルの打ち上げを妨害したのです。これは、その前に、実際に核物質を積んだスペースシャトルが発射後すぐに分解するという悲惨な事件があり、それが再び起こることを危惧する故の行動でした。つまり、興味本位のハッキングとは異質の、リスクを回避するという純粋な目的があってのことだったのです。アサンジは、ハッキングによって、金儲けをしようとは一度も考えたことはなく、むしろ、ハッキングすることによって得る「情報」の価値と質を重視し、ハッキングで得た情報で正義を実現しようとしていました。世界に衝撃を与えられるような情報で、ということです。この時点で、既にウィキリークス創設への方向性は定まっていた、と言われています。 アサンジ氏には逮捕歴があります。1991年、カナダの電話会社のシステムに侵入していた時、偶然システム管理者に遭遇したことがきっかけで身元が割れたのです。3年の裁判を経て有罪になりましたが、実刑には至りませんでした。しかし、精神的なダメージは相当大きかったといいます。いっときはコンピュータに全く触れることがなかったのですが、気を取り直し、新たな活動に踏み切ります。それが、プロバイダー「サバービア」の立ち上げです。「サバービア」は、競合相手が有料でサービスを提供しているのと相反し、一環して無料でサービスを提供し続けていますが、その場所には、サービス提供開始当初から、いわゆる企業や公機関の「インサイダー」たちから、様々なリーク情報が寄せられるようになります。どこも扱いたがらないような危険な情報を、サバービアは全面的に受け入れました。 そのことで、「ハッキングというリスクを冒して情報を入手するのではなく、情報を手に入れるためには沢山のインサイダーを抱えるほうが効率がいい」ということをアサンジ氏は学びます。「インサイダーを沢山抱えて情報を得る」これは、まさにウィキリークスが現在ある姿です。 アサンジ氏が自身の政治理念や情報公開のやり方を決定づけた人生の転機は、まさにサバービアでの経験そのものでした。アサンジ氏は、数々の政府レベルの機密を得ることで、その後の活動方針を徐々に確立していきます。そして自分の思想を最大限に反映させて活動すべくネットワーク「ウィキリークス」の構想を固めていきました。彼の幼少期を振り返ると、その人生は旅の繰り返しでした。 アサンジは、ウィキリークスでの活動のため、世界各地を放浪し続け、彼のその人生は人々によく「City to city, country to country"(街から街へ、国から国へ)」と表現されます。その中で、沢山のコネクションをつくり、また沢山の協力者を得て、組織作りをしていったのです。多くのハッカーやプログラマーが、彼の政治意識に賛同し、ウィキリークス設立に携わるのですが、その中でも最もアサンジ氏が尊敬し、信頼していたのは、ダニエル・エルズバーグ氏(ベトナム戦争の詳細を内部告発して、戦争を早期終了させた元軍人)です。またウィキリークスのスポークスマンとして活躍したダニエル・D・ベルク(現在はウィキリークスを脱退)は元々会社勤務のプログラマーでしたが、アサンジ氏の活動に賛同し、最終的には自分の勤務先を退職し、ウィキリークスの活動に専念するようになります。 こういった力強い協力者とボランティアに囲まれ、2006年にウィキリークスを設立、ドメイン「wikileaks.org」「wikileaks.info」「wikileaks.cn」も取得し、組織としての活動を開始したのです。現在アサンジ氏は表立ったメディアでの活動は少なくなっています。2010年末に、婦女暴行の容疑でロンドンで逮捕、その後保釈され、現在ではロンドン郊外のとある場所に、身を潜めるようにして生活していると言われています。 2011年1月には元ユリウス・ベア銀行(スイス)のルドルフ・エルマー氏と共に、不正融資、脱税などで得たお金をスイスの銀行口座に隠し持つ顧客のリストが、エルマー氏からアサンジ氏に渡りましたが、それがメディアの前にアサンジ氏が現れた一番最近の映像だと思います。2010年末、アサンジ氏は多くの場所に姿を現し、身の潔白を主張し続けていました。アサンジ氏は、政治理念を決して曲げることがなく、ウィキリークスボランティアとの話し合いにも一切妥協しない人物であると言われ、議論が加熱すると、「ウィキリークスは僕が作ったベイビーで、僕の全てなんだ。僕が全ての決定権を持って何が悪い!?」と感情的になり、わめき散らすといいます。そういう感情の起伏をコントロールできない部分、自分と対立する意見に対して排他的に振舞うところなどが、回りにいる人たちを失意に陥れ、ウィキリークスを去っていく人が後を絶えない状況が続いています。組織として今後運営を続け、業績を出し続けるために、ウィキリークスとアサンジ氏は、今まさに正念場を迎えています。                                                                                        わたし(横田)は、アサンジ氏とは20歳年上なのですが、わたしも27歳のときにホームコンピュータの先駆けとなった「コモドール」を購入したのです。それは、ディスプレイと本体とキーボードが一緒になっているものでした。わたしもそれがきっかけになって、コンピューターの世界に入ったのです。わたしは、「経営とコンピューター」という社是を掲げました。アサンジ氏は、16歳になってモデムを手に入れたのです。「彼が初めてネットワークで世界と繋がったことを意味する、人生最初の転機と呼ぶに相応しいでしょう。アサンジ氏には、並外れた知能指数があると言われています。その抜群の頭の回転でコンピュータのシステムを網羅し、やがて天才ハッカーへと変貌を遂げていったのです。」 アサンジ氏は、もうすぐ46歳になります。アサンジ氏は、世界の善悪をウィキリークスで偉大なる神の使いとして役目を果たしてきました。そして、アサンジ氏は、今まさに正念場を迎えようとしています。ウィキリークスがこのまま神の使いとして役目を果たすことができるかどうかです。
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