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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1543)

今回は、「マエカワはなぜ『跳ぶ』のか」著者 前川正雄氏です。2011年発行です。 前川正雄氏は、前川製作所の前社長です。前川製作所は、冷凍、超電導、ロボット等の第一級のハイテク企業です。定年がないという独特の経営スタイルで次々と新しい独自の商品を生み出しています。 「最近つくづく感じるのは二0世紀と二一世紀の不連続性だ。特に二一世紀に入ってからの先進国における政治と経済の混迷については、不連続性という言葉を持ち出す以外に説明の手立てがない。恐ろしいことに、全世界で、この不連続性がどんどん進行している。」 「原因を政治について考えてみると、二0世紀の政治が成立していた場所と、現在の場所が全然別のものになってしまった・・・・・・・」 「経済についてもまったく同じことがいえる。GDPや経済成長率に意味がなくなったとまでは思わないが、こうした数値を中心に議論をしている時代はとっくに過ぎ去った。マクロ経済と現実の経済がどんどん離れていってしまったからである」 「生物」を考えると、環境変化にうまく対応し、生き続けていくことは生物の本能です。生物と同じように、企業も環境の変化に合わせて、生きて行く場所(業界)を変え、場所の変化にあわせ、自分たちの商品を自在に変え、オリジナルな商品作りを狙っていきます。”跳ぶ”というのは今いる場所(業界)を変えるために、新しい独自の商品を生み出し目的の場所に移動するというような感じです。生物は生きるために食べますが、それは理屈であり実際は食べたいから食べるのです。企業においても、生きるために「跳ぶ」ことが必要ですが実際は”跳びたいから跳ぶ”べきです。生物と同様に企業も「跳ぶ」ときに棲み分けが必要です。跳んだ先の場所に、強い生物が住んでいると生きていけません。マエカワの商品である冷凍機は「冷やす」ための機械。これがモノです。でも、冷凍機は食品を美味しく保つためにあります。これがコトです。モノではなくコトを考えることが重要です。                        崢靴屐廖畩貊蠅諒儔修砲△錣察⊆分たちの商品を自在に変え、オリジナルなモノを狙う。「跳ぶプロセス」=環境の変化に敏感になる 環境の変化をチームで共有する。 L魍篳担、教育 ぜ分たちをうまく変える。「跳ぶ」開発=マルチ型の高度な専門家集団で行わなくてはならない。社員が跳んで成長するのは、場所を移動しながら仕事を身につける過程においてである。自ら変わることを躊躇すると、疲弊する価格競争に陥ってしまう。ものを見分け、判断するというように、人の知能が関係する作業や、人の手だけで力が及ばない作業に、ニーズの源泉がある。コンポーネント開発とシステム開発を同時に進める=同時に進めないと場所的開発にならない。製造業は、21世紀の新しい場所が要求する付加価値の高いものつくりで生き残る以外に道はない。                                             わたし(横田)は、前川正雄さんが「(21世紀が)企業も環境の変化に合わせて、生きて行く場所(業界)を変え、場所の変化にあわせ、自分たちの商品を自在に変え、オリジナルな商品作り」をしていくという意見に大賛成です。わたしが今までの経営者を見ていると、これと正反対のことをやっているのです。20世紀型企業から21世紀型企業に大転換をはからなければ継続していくことはできないと言っているのに、経営者は20世紀型を未だに一生懸命やっているのです。ところがもう、すっかり遅いのです。時代は21世紀型に変わっているのです。これまで業界に必死になって合わせてきたのにもかかわらず、とうとう20世紀型企業は終わりです。企業は時代の変化に合わせて、業界を変えるところまでやりきらないと終焉を迎えるのです。イケイケどんどん型は、40年前高度成長期に流行りました。それを自分の会社だけが未だに高度成長期にあると思っている経営者は、もうあと3年経てば21世紀の実体をありのまま見ることができます。    わたしは、しばらく休養させていただきたく思います。1ケ月以内にはまた続けたいと思っています。

| 経済 | 06:12 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1542)
今回は、数々の国民的名作を遺し、昨年7月に逝去した永六輔さん(享年83)です。一周忌を控え、様々な追悼イベントやテレビ番組が予定されている。ところが、「永六輔って何者!?」と疑問を唱え、その足跡を追い続けている若者がいる。永さんの孫で、東京大学在学中の永拓実さん(20歳)だ。 ■永拓実(えい・たくみ):1996年、東京都生まれ。東京大学在学中。國學院久我山高校時代は、名門のバスケットボール部に所属し、スポーツに明け暮れる。大学では学業に励む傍ら、国内や海外を一人旅するなどして地域文化に触れ、2016年、インドでの異文化体験をまとめた作品がJTB交流文化賞最優秀賞を受賞。母は元フジテレビアナウンサーの永麻理。今年、『大遺言〜祖父・永六輔の今を生きる36の言葉〜』を出版した。                                                                                                                               拓実さんが語る。 「祖父は著書だけでも200冊以上の作品を残しましたが、僕たち家族には、直接、何の教えも残さないまま逝ってしまいました。家庭では他愛のない話ばかりしていたうえ 僕たちは本名で『タカオ(孝雄)くん』と呼んでいた。幼い頃から『永六輔さんって、どんなところがすごいの?』とたびたび聞かれてきましたが、本当に何も答えられませんでした」 晩年は、パーキンソン病や前立腺がんなど長い闘病生活を続けていた永六輔さん。拓実さんは、亡くなる2年ほど前から漠然と、「死期が近いのではないか」と焦り始め、偉大とされる祖父のもとに足繁く通ったという。何らかの教えや学びを直接、得るためだった。 「ニュース番組を一緒に見ながら様々な話題を振りました。本質的かつ哲学的な議論をするためです。しかし、何を振っても豆知識ばかり披露して、笑って終わり。心に残るようなことは何も言ってくれません。正直、疑いました。世間はすごい人だと言うけど、本当は時代の流れでたまたまうまくいっただけなんじゃないか、と」 ついには本質的な議論を諦めた拓実さん。しかし、永さんが亡くなると、世間の反応は尋常ではなかった。テレビや新聞で「戦後の日本文化をリード」「昭和を代表する偉人」などと連日報道され、通学で通る渋谷のスクランブル交差点の大型ビジョンにも、祖父の顔が映し出された。さらに、都内で開かれた「お別れの会」では衝撃的な出会いにも遭遇する。 「参列者の中に激しく泣いている若い女性を発見しました。気になって聞いてみると、自殺を考え、富士山麓に行ったんだけど、永六輔の明るい声をラジオで聞いて、思いとどまったそうです。しかも、その場で番組宛に出したハガキにはすぐに祖父から返事がきて、その後も祖父のラジオを楽しみに生きてきたのだ、と」 女性は「永六輔さんから人生のすべてを学んだといっても過言ではない」と、話を締めくくった。これを聞いた拓実さんは、再度、意を決する。「永六輔はやっぱりすごい人。しかも人の命を救うほどに。祖父のことをもっと知らなくてはいけない」と。 その後、拓実さんは永さんとの記憶を辿り、100冊近くの著書と、書斎に遺されていた手帳やノート、メモなどを読み漁り、そのうえで親交の深かった人々を約30人、訪ね歩いた。 永さんの活躍は、テレビやラジオ、作詞、執筆など多岐にわたり、作詞では『上を向いて歩こう』『見上げたごらん夜の星を』『こんにちは赤ちゃん』、著書では『大往生』など、世代を超え、今も歌い、読み継がれている作品も多い。しかし、一番大切にしていたのは「言葉」だったという。 「『言葉の職人』とも称されていた祖父ですが、間違いなく一番こだわっていたのは『言葉』です。取材をすればするほど、言葉に関する証言がたくさん得られましたし、親友の黒柳徹子さんも『永さんの活躍は多岐にわたるけど、常に根底にあるのは言葉だったと思う。永さんの言葉をいつまでも大事にして生きていきたい』とおっしゃっていました」 永さんの言葉によって、人生に大きな影響を受けたのは前述の若い女性だけではない。黒柳徹子、久米宏、タモリ、ピーコ、さだまさし、清水ミチコなど、多数の著名人にも影響を与えていた。実は、拓実さん自身も、永さんの言葉を実践することで、人生が激変した一人だ。 「取材の中で見つけた祖父の言葉に『無駄なことは何もない。無駄にする人がいるだけだ』というのがあります。僕は高校時代、バスケットの全国大会の常連校で部活に明け暮れましたが、怪我で一線を退かざるを得なくなった。その後、半ば自暴自棄に陥り、何もしない日々を過ごしていた。しかし、何もしない自分の愚かさに気づき、その後は部活ができない鬱憤を勉強にぶつけ、東大にも合格できました」                                                          わたし(横田)は、永拓実さんの『大遺言〜祖父・永六輔の今を生きる36の言葉〜』を読みました。 永六輔さんの残した言葉です。 崔亮韻僕住擦呂からない」◆崋犬辰討れる人を探す」「人間関係に順位をつけない」➃「人間は今が一番若い」ァ崟犬ているだけで面白い」Α嵎垢は話すより難しい」А崗个Δ海箸鷲雋錣砲覆襦廰─嵶場や肩書きを裏切れ」・・・ わたしも、永六輔さんが一番こだわっていたのは「言葉」だと思います。なかでも、「人間関係に順位をつけない」は、永六輔さんに手紙をくれた人たちに「葉書」で「その人に勇気を与える言葉」を発していたのです。それは、「人間関係に順位をつけない」を実行していたのです。「立場や肩書き」を全くフリーにしたのです。永六輔さんは、本当に立派です。                                                                                          
| 経済 | 05:53 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1541)
今回は、矢作直樹さんです。 矢作直樹(やはぎ・なおき)1956年、神奈川県生まれ。金沢大医学部卒。麻酔科、救急・集中治療、外科、内科など経験し、2001年から、東大医学部救急医学分野教授、同大病院救急部・集中治療部長。著書に「人は死なない」(バジリコ)など。                                                     ――2011年9月に「人は死なない」というタイトルの著書を出版し、その後、気功や超常現象の専門家との対談本まで出されましたね。                                        「最初の本は、知人の作家の出版記念会で出会った出版社社長に、個人的な関心から調べたり、考えたりしていたことを話したら『面白い。本にしたい』と勧められたのがきっかけです。タイトルは、<肉体は滅んでも霊魂は残る>という意味です。様々な霊的な現象や研究を紹介しているのでキワモノに思われそうですが、日本人古来の死生観からすれば、そんなに理解できない内容ではないと思います」                                                     ――医師としての仕事とは関係があるのですか。                                                  「最近、人はいつか死ぬという当然のことを忘れているように見受けられる患者さんやご家族が増えました。病院に来れば治ると思い込み、いざ死に直面するとあわててしまう。いくら医療が進歩しても死は避けられないのです。生と死についてもっと深く考えて、豊かで幸せな人生を送ってほしい。医療はサービス業の面もありますから、とにかく患者さんやご家族に少しでも満足してもらえたらと思います。それが執筆の大きな動機です」                                                                    ――なぜ死や霊に強い関心を持つようになったのですか。                                            「何度か、死を覚悟した経験が大きいです。小学校3年生の時に車にはねられて、病院のベッドで医師と母親の会話を聞きながら『死ぬんだ』と思いました。幸い助かりましたが、以来、死がとても身近なものになりました」 「大学では単独登山に熱中し、冬山で大きな事故を2回経験しました。最初の墜落事故では、落ち始めた瞬間に死ぬと思いました。奇跡的に助かったのに懲りず、同じ年、また冬山で滑落しました。その時も助かって下山した後、どこからか『もう山に来るな』という声が聞こえたのです。以来、ぱったりと登山をやめました。あの声は単なる幻聴だったとは思えないのです」                                                                 ――医療現場でも不思議な経験はありますか。                                                 「治療がうまくいったはずの患者さんが急変して亡くなったり、逆に助からないはずの患者さんが回復したり、現代医学で説明できないことは多くあります」 「いわゆる臨死体験を患者の口から聞くこともあります。光を見た体験などを語るのです。脳内ホルモンの作用で説明されることがありますが、それだけで説明し切れない場合もあります」 「代替医療としての気功に関心を持ち、講習に参加したことがあります。物理法則では説明がつかない力があることに衝撃を受けました」 「科学は現象のメカニズムは説明しますが、例えば、なぜ宇宙があるのか、という根源的な問いには答えません。この世界は神秘に満ち、人が知りうる部分はわずかです。欧米では著名な科学者が心霊研究に取り組んできた歴史がありますし、今も代替医療などへの関心は高いのですが、日本は明治時代に古来の思想を捨ててしまいました」                                                ――もっと宗教を大事にすべきということですか。                                               「特定の神様を信じる必要はありません。人知を超えた大きな力の存在を意識すればいいのです。それを宗教では神と呼びますが、私はそれを『摂理』と呼んでいます。日本人はよく無宗教だと言われますが、古来、森羅万象に神々の存在を感じ、死者の霊の存在も信じてきました。そうしたすばらしい感性は、今でも残っていると思います」 「摂理によって人は生かされており、肉体は滅んでも霊魂は永遠である。亡くなった人の霊に、いつも自分は見守られている。そのように考えれば、生きている限りは感謝の気持ちを持って生きられ、死に直面してもあわてずに済むのではないでしょうか」 「危険な宗教には近寄ってはいけません。見分けるのは簡単です。心身を追いつめる、金品を要求する、本人の自由意志に干渉する、他者や他の宗教をけなす、そんな宗教は危険です」                                                     わたし(横田)は、矢作直樹さんの言うことに賛成です。わたしは、20年前に立花隆の本「臨死体験」を読みました。その時、立花隆の「唯物主義の枠から出ようとしない」考え方に疑問を持ちました。当時、立花隆の科学者と唯物主義は、同一と見なされてきたのです。わたしは、「止揚」で解決を図れないかと考えました。「唯物主義」と「唯心主義」の止揚を考えました。そうすると、「この世」と「あの世」を一元的に捉えることができます。それは「宇宙」と「大宇宙」の考え方と同じです。立花隆も「死を迎えてあの世に行けば」この世とあの世は一元的だったと考えるはずです。最近のネットで、矢作直樹さんの「肉体は滅んでも霊魂は永遠である」という考え方は、若い人々にとって「当たり前」になりつつあります。
| 経済 | 05:52 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1540)
今回は、マスメディアで有名になった落合陽一さんです。落合陽一さんは、現在29歳です。落合さんは人工知能のDeep Learningの研究、アーティスト、先端ビジネスの社長、筑波大学学長補佐をやっています。                                          落合陽一(おちあいよういち) 1987年生まれの29歳。メディアアーティスト。開成高校を経て筑波大でメディア芸術を学んだ後、東京大学学際情報学府博士課程を学際情報学府初の短縮修了(飛び級)して博士号を取得。2015年5月より筑波大学助教・デジタルネイチャー研究室を主宰し、Pixie Dust Technologies.incを起業しCEOとして勤務している。父親は、国際政治ジャーナリストの落合信彦です。2017年より筑波大学学長補佐、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学客員教授を兼務。                                                                                                  ◇◇落合陽一のライバルはエジソン!? 「現代の魔法使い」の頭の中◇◇  5月20日(土)、落合陽一氏による講演会「魔法の世紀を生きる子供たちへ」が秋葉原にて開催された。この講演は、株式会社UEIが手がける秋葉原プログラミング教室が主催し、子どもたちだけでなく一般にも解放したもので、これからを生きる子どもたちに向けて、メディアアーティストの落合氏がメッセージを送った。 落合氏といえば、研究者、筑波大学学長補佐、またPixie Dust Technologies.IncのCEOである。「現代の魔法使い」とも呼ばれ、最近はテレビなどに出演し、そのたくさんの肩書きや見た目がミステリアスだ。彼は一体何者なのか、疑問に思われている方も多いだろう。今回の講演では、そんな彼の頭の中を覗けるような、興味深い考え方を聞くことができた。落合氏の研究分野であるプログラミングや表現だけでなく、これからの生き方・働き方にまで触れられ、大人が聞いても参考になる非常に充実した内容となった。今回は、この講演の中から特に面白かった部分を選んでお届けする。                                                               ◇◇みんなで同じことをしていてもしょうがない時代になってきた◇◇ こんにちは、落合陽一です。僕は29歳なので、いま10歳の人はあと19年するといまの僕と同い年になりますね。最近、僕も子供が生まれたのですが、その子が10歳になる頃には、僕は40歳になるんだなぁと思っています。僕は、ふだんは大学の先生、自分の会社の経営、そして、メディアアーティストをしています。それ以外は世界経済フォーラムとか東京都とか大学運営とかに関わりながら、次の時代を探っています。 僕が最近にテーマにしているのは、人類にとっての「近代」と「現代」を終わらせるためにどうやって技術インフラを作れるのか。ちょっとお子さんには難しいと思うんですが。今日はその話をしていこうと思います。 まず、何の話から始めようかな。制服って何のために着ていると思う? 「着ろ」って言われているから? 僕らが制服を着始めたのって、結構昔なんですね。例えばこの写真は明治時代くらいの、教育勅語が発令された頃の風景なんですけど、この頃から日本の小学校って前習え、気をつけをして、机で同じ教科書を持って勉強するってスタイルになっています。 確かに、制服がみんなばらばらだったら統一感がないじゃん。変な服を着たら同じ服を着ている人たちからいろいろ言われるじゃん。もしかしたら普通の服を着るより安いかもしれない。全員同じ服をたくさん作ったら安いから。でもこの理屈って、軍隊教育にきわめて近くって、なぜかというと、近代では日本の国を強くしなきゃいけなかったから。全員で同じ目標に向かって、全員で同じことをして、全員で同じ教科書を読んで、全員で同じ言葉を喋って、全員で同じ時間割で行動するっていうのがものすごく大切だったんですね。そうすると何ができるかって言うと、日本が工業化していくときに、みんなで同じものが作れるようになる。工業製品が、お店で買ってきて全部バラバラな形してたら困るよね。たとえば、Mac買ってきてディスプレイが最初から動かなかったら困るじゃん。そんな風に、近代では全部の品質を保つというのがすごく大切なことだった。たとえば車とかiPhoneとか、20世紀の感覚の中では最高傑作だとは思うんだけど、僕らの時代ではもっと違うことをしていかないといけないんじゃないかなって僕は思っています。つまり、決まりきった工業製品みたいな人を作っても、それはコンピューターの方が得意なので、人間の出る幕はないなと僕は思っているわけです。つまり、みんなで同じことをしていてもしょうがない時代になってきたなあと僕は思っています。 でも、ちょっと考えてみようと。なんでみんな朝同じ時間に学校に行かないといけないと思いますか? 学校って8時45分くらいに始まると思うんだけど、僕らが時間を決めて行動し始めたのって、今はみんなあたりまえに思っているんだけど、実は1700年代の終わりくらいから1800年くらいからなんですよね。それよりも前の人たちって、業界によって何時に起きても良いし、1年の分け方も違ってたりしたんだけど、昔マルクスっていうドイツの偉い人がいまして、その人が人間の生産活動を時間で決めると良いよって言ったんですね。それから僕たちはみんな腕時計をつけて時間に間に合うように行動したりとか、待ち合わせには遅れないのが普通だよって教えるようになりました。だから近代って時間でコントロールしてたんだけど、今では地球の裏側と仕事してる人にとっては時間って関係なかったりするし、みんな同じ時間に学校に行かなくても、頭いい子は午前中に授業終わっちゃっても良いと思わない? 本当は。僕はカリキュラムにそって同じ時間で行動する必要はないと思うんだけど。そういったような、みなさんが学校で習っていることって、今後全く当たり前じゃなくなっていくと思います。こういうことを今知っていると楽しいかなと思って、今日この講演を企画してもらいました。                                                      ◇◇バラバラのようなんだけど、でも全部やっているのはコンピューターをプログラミングすること◇◇ 僕自体は、普段は研究者をしています。何の研究をしているかというと、俗にいうとAIとか、コンピューターサイエンスの研究をしています。たとえば、レーザーで空間に絵を描く研究とかをしています。空気を直接光らせて空中に絵を描く研究なんですが、どうやっているかっていうと、レーザーを使って、空中に光を直接描くっていう。仕組みは非常に単純で、プラズマなんですね。あと最近やっている研究っていうと、これは赤いところだけ音がでるスピーカーとか。そういう研究をしています。                                          ◇◇外出先ではホロレンズをつけて仕事をすることもある◇◇ これらを会社で作って売ったりとか、研究室で研究したりとか、日本や海外で発表したりとか、そういうことをしています。僕らが得意にしていることは何かっていうと、そういう物質自体、モノとか光とかを、コンピューターを使ってプログラミングしていくことです。だから3Dプリンターでモノを作って、その構造がどうやって変形するのか、動くのか、っていうのをCGで設計して、コンピューターのプログラムに入れて、出てきたものを動かす、ということをしています。こんなことばっかり研究していて、3Dプリンターがいっぱいあったりとか、レーザーを打つ装置があったりとかします。全然バラバラのようなんだけど、でも全部やっているのは「コンピューターを使って人間には設計できないことをプログラミングする」っていうのが僕らの仕事です。プログラミングって言ったらだいたいプログラミングとかiPhoneのアプリを作ったりとか、画面にCGの映像を作ったりを思いつくと思うんだけど、それと同じ理屈で、どうやったら僕らが生きているこの世界にCGっぽいものを作ったり、形あるものを作れるか、って言う研究をしています。だから、やってることはすごい単純なんですよね。入出力の体験価値を見ながらソフトウェアの問題を解いているんです。                                                                  ◇◇ライバルはエジソン◇◇ 僕がライバル視している人がいて、ぜひ紹介したいんですけど、この人です。知ってます? この人。トーマスエジソンです。いっぱい発明した人ですね。この人言っていることがめちゃくちゃでおもしろいんですが、たとえばこの人、映像装置は一人一個持つべきだって言っているんですね。エジソンはキネトスコープという覗き込んで映像を見る装置を作って、一方でリュミエール兄弟という兄弟がプロジェクターを作りました。プロジェクターはみんなで映像を見る装置で、キネトスコープは1人ずつ映像を見る装置です。どっちが当時売れたと思いますか? 当時、世界的にプロジェクターが普及しました。だけど、今我々が生きている世界ってスマホを持っているじゃないですか。つまり、1人1個映像装置を持っているんですね。エジソンの言ったことは、彼が生きていた時代にはコスト面で普及しなかったのですが、今は実現しているわけです。 エジソンが言った面白いことは他にもあって、音楽は体験するものであって、蓄音機は他の用途で使うべきだ、例えば音声コミュニケーションとも言っています。蓄音機で音楽を聴いたエジソンは、音楽は生で聴いた方が良いよ、こんなもので聞くべきじゃないって言ったんですが、結局CDが流行ったわけじゃないですか。でも今スマホで音楽を聴くよりコミュニケーションをしていますよね。これも正しい見方だったと思うんですね。                                       ◇◇ライバルはエジソン 人工知能で笑ってもらったエジソン◇◇ 極めつけは、エジソンは最初電気は直流でいこうと言っていて、もう一人テスラという人がいて交流がいいじゃんって言っていたんです。交流の方が遠くまで電圧を下げずに送れるんだけど、直流は直流で変換しなくていいから便利だと。コンセントって交流なんですけど、僕らが使っているものって、熱が発生するものとモーターで動いているもの以外は、だいたい直流で動いているんです。USBもそうだし、パソコンもそうだし、液晶もそうだし、そこにあるプロジェクターもそうだし、僕らは直流の世界で生きているんです。イメージしてもらうと、おうちのコンセントが全部USBだったらiPhone充電するの楽じゃん? でも、もし山奥でUSBしかなかったら家電とか動かないよね。だから、僕らが普段使っている冷蔵庫とか洗濯機には交流が便利なんだけど、それ以上の情報で使っているようなものってほとんど直流で動いている。だから、インフラとしては交流が便利なんだけど、それ以上は直流の世界になっていくのは目に見えていることで、エジソンはそれをわかってたんじゃないかなって思うんです。                                            ◇◇エジソンはメディアアーティストなんじゃないかなって思っています◇◇ エジソンは発明家って言われているんですけど、僕はメディアアーティストなんじゃないかなって思っています。エジソンが作ったものって、最初大幅にはずしているんですよ。覗き込む映像装置も誰も使ってなかったし。でも、エジソンが最初に作るからエジソンすげー!ってみんな思うわけです。エジソンの時代はコンピューターがなかったので、どうやったら電気から直接見えるものを作れるかっていうのが仕事で、僕らの時代は、どうやったらコンピューターを使ってエジソンがやったことをもっと新しい観点でやるかっていうのが大事なんだと思います。                                              ◇◇Googleがない世界では算数はできないかもしれないけど、Googleがある世界では算数ができるんだから、劣等感を持つ必要はない◇◇ エジソンとフォードができたことを今やってもしょうがない。 フォードって知ってますか? エジソンとフォードは仲が良くて、フォードはエジソン電気会社に入社してきた社員なんですね。彼はそのあと自動車を発明します。この自動車は多分世界で1番売れた車の一つです。フォードのなにがすごいかというと、全く同じものを工場で並べて作るっていうことを普通にした人です。僕らがイメージする工場は、部品が並べられていて、歯車をつけて…というものですよね。そしてエジソンがその考え方で電化製品を作った人です。初めて自動車を作った人と初めて電化製品を作った人は友だちだったんですね。他にも、この2人は最初に電気自動車を作りました。時速40キロで100キロ走る良い車を作ったんだけど、エジソンだったらこのまま商業化して大失敗するのがいつものパターンなんですけど、フォードは感覚が良いので、「エジソンさんバッテリーを作るのがとてつもなく大変です、やめましょう」っていうことで実用しなかったんですね。だけど100年たったいま、あらゆる電気自動車メーカーができていて、100年前にできなかったことが割とできるようになったんですね。半分はコンピューターのおかげで、半分はいろんな技術のおかげです。 だから、この時代にできたことを今やってもしょうがないと思うんですよね。工場でみんなで並んで同じものを作ることって、みんなで同じことをやっていた時代の人には合っていたと思うんですね。みんなで同じやり方をしていたら、バラバラな形のものはできないから。なんだけど、今ってもうそういう時代じゃなくて、みんなばらばらでどうやって生きていくかって時代だと思います。 みんな多分あと10年くらいしたら、学校でせーのって授業を聞く必要はなくなると思うんだよね。あと、試験でもスマホを持ち込めるようになると思うんです。僕は大学の先生なので、いつもどうやったらスマホを持ち込んでテストできるかって考えています。だって、インターネット使ったことない小学生いますか? Google使ったことない小学生、いないですよね。Google検索できない場所に缶詰にされて問題を解くっておかしくないですか? わからなかったらググれよ、って。今はインターネットがあるのに、わざわざインターネットのない世界でテストをするっておかしいですよ。それでわかる能力って、僕はインターネットのない世界では正解が答えられますっていうことじゃん。実際インターネットがある世界では誰でも解ける問題なら、それって意味ないなって思うんですよ。たぶん、将来の僕らってものの解き方を変えていかなきゃ行けないんだろうなって思っています。 テストの時、Googleがない世界では算数はできないかもしれないけど、Googleがある世界では算数ができるんだから、劣等感を持つ必要はないよね。逆上がりができなくても、身体にロボットがついていない世界ではできないけど、ロボットがついていれば逆上がりができるんだから、問題ない。たとえば僕はスクーターに乗っていれば100メートル10秒以下で走れるわけですが、スクーターのない世界ではできないわけです。でもそれはずるじゃなくてパラメーターの問題ですよ。だからあんまり人と自分を比べてもしょうがないので、比べるものはテクノロジーで解決する世界になれば良いなって思います。                                                         ◇◇テクノロジーが発展したら、健常者も障がい者も区別はないし、人と機械も違いはないし、男だろうが女だろうが関係ない◇◇ コンピューターがあると、いろんな人たちが出てくる。 みんなに覚えてほしい重要なことがあって、今僕らが標準って言っている人間って、昔の人が人間とは何かというのを考えて、その上で法律を決めてつくったものが多いです。男女を平等にしようって言っているのも、標準的な人間とは何かを考えたから男女の違いが生まれたし、機械と人間の差を考えたから、機械がやれば良い仕事を人間がしていたりするし、健常者というものを定めたから障がい者というものが生まれたと思うんです。僕らの時代はここはもっとハイブリッドになっているので、あんまり関係ないんですよね。だって肌の色が何色かって関係ないわけじゃないですか。ポケモンGOだって肌の色を選べたりするわけです。腕がなくたって3Dプリンターで作って動けば何ら関係ないわけです。コンピューターがあると、いろんな人たちが出てくるわけです。それは今までできなかったからいなかっただけで、テクノロジーが発展したら、健常者も障がい者も区別はないし、人と機械も違いはないし、男だろうが女だろうが関係ないわけです。その違いは200年以上前の人が決めたことで、今もこれを守る必要ってないんです。そういうことが当たり前だと思わない大人になってほしいなって僕は思います。 最近は自動で動く車いすの研究をしています。後ろで車いすを押す人って要らないと思うんですよね。その位置に360°カメラが合って周りの環境を認識すれば、自動運転できるわけです。そうすれば車いすに乗っている人は自分で自由に動けるようになる。もしお店で買い物するときは、ヘルパーさんがVRモードとかで入って、おつりください、って人間がやって、それ以外のほとんどのことは機械が自動運転で動かすことができるんです。 他にも、今、日本は高齢化社会って言われてるんだけど、きっとポジティブになると思うんだよね。少子高齢化ってみんな言ってるでしょ? 少子高齢化って、だいたいみんなでおじいちゃんたちを支えようっていうイメージですよね。                                                             ◇◇高齢化社会は、きっとポジティブになる◇◇ でも今僕たちがとるべき少子高齢化の形は、おじいちゃんたちはいっぱいいるけど、支えるのはロボットや人工知能に任せて、僕たちは好き勝手やってっていう世界です。もしかしたらおじいちゃんおばあちゃんも、ただ支えられるんじゃなくて、頭にホロレンズつけたり、自動車いすに乗ったりして、自由に動いてる世界にもなるかもしれない。そのような世界を作るために、どのような装置を作るかって言うのが重要だと思います。                                     ◇◇ワークアズライフ◇◇ 大人になると、ワークライフバランスが大事だって言われます。どういう意味かって言うと、よいワークがよいライフを生み出して、よいライフがよいワークを生み出すってよく言うんですね。僕はこれ、嘘っぱちだと思っています。僕は最近、ワークアズライフだと思っています。どういう意味かって言うと、みんなはもうタイムマネージメントの時代じゃないと思うんですよ。何が楽しくて何が楽しくないか、何がストレスで何がストレスじゃないかって時代に生きていくんだと思います。時間割に従うことなく、みんな同じことをやらなくても、みんなばらばらのことをやれる時代だと思います。20世紀までの標準化の時代、何が標準かって言うのを考えている時代だったと思うのですが、僕らの時代はどういうパラメーターがあなたにありますかっていう時代になると思うんです。時間でコントロールするんじゃなくて、どこがストレスでどこがストレスじゃないかっていうのが重要になります。                                                         ◇◇ワークライフバランスではなく、ワークアズライフ◇◇ それってどういうことかって言うと、全員にプログラミングをやれって言っているわけではないんです。その人にとってストレスがかかることはやらないほうがいいっていうだけです。でも、ストレスがちょっとかかることをどれだけ混ぜていくかということによって、全部ストレスがない状態になるとあんまり発達しないので。10%くらいはストレスがかかることで、90%くらいはストレスがかからない環境をつくることが、これから伸びるために大切なことだと思います。僕は1日19時間研究していてもストレスでないので全然苦じゃないです。だけど、Excelは10分で嫌になります。なのでExcelには触らないようにしています。学校でExcelの書類が来たら絶対に書きません(笑)。あと僕はeメールが嫌いなので打ちません。電話の方が好きなので。ストレスのかかるeメールより、電話の方が早くてストレスがかかりません。 人によって全然違う生き方があって、社会や会社でいきなり変われるかっていうと、急に変わるとぐちゃぐちゃになるのできっと難しいと思います。だけど、人によって違うツールを使ったり違う生き方をしたりしても、それを吸収できるように、我々がコンピューターを今発達させている途中です。そんなふうに10年後にはできるようになっていると僕は思っています。                                                                 わたし(横田)は、落合陽一さんの言っていることに大賛成です。200年前からの標準化を徹底的に壊す。守られてきた集団時間を自由にする。集団の決まりではなく、個人個人がやりたいことをやる。大量生産大量消費ではなく、個人が一品ごとに生産消費をする。これが、21世紀の世界だと思います。それが、もうあと10年後にやってくるのです。情報系の会社では、社員は背広ネクタイがもうなくなっています。「これまで標準とされてきたものを、どのように壊していくか」 それには多様性が重要になってきます。本当に、現在進行形で世界中でものすごい「革命」の移行期なのです。「恐慌」は、「革命」の一部に過ぎないのです。世界中の金融経済・政治が壊れかけています。いままでの政治・経済が跡形もなく消えていこうとしています。それを落合陽一さんは新しいテクノロジーで21世紀を試みているのです。
| 経済 | 05:27 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1539)
今回は、「2020年人工知能時代の幸せな働き方とは」働きごこち研究所 藤野貴教著からです。 2020年、人工知能は当たり前になる? 人工知能やAIと聞くと、「人間の仕事が奪われる」「失業者が増加する」といったネガティブなイメージを抱く人も多いでしょう。 しかし人工知能やテクノロジーの進化は、人間の仕事を「奪う」のではなく、辛くてつまらない仕事を「代行」してくれるとも言えます。 そのおかげで、人間はより人間らしい仕事に就くことができるようになります。 未来に対して漠然とした不安や危機感を抱いてしまうのは、AIやテクノロジーについて知らない事が多いからです。 自分は理系じゃないし、人工知能とかテクノロジーとか言われてもよくわからない、という人におすすめなのが、2020年人工知能時代 僕たちの幸せな働き方です。 人工知能やテクノロジーについて「働き方」という視点から解説し、これから私たちの仕事はどう変わっていくのか、そのために「今」何をすべきなのかという疑問について、真っ正面から答えてくれます。 未来に向けて行動を起こすためには、今起きている変化について「知る」ことが何より重要です。 「今の仕事をどう変化させていけば、人工知能時代に幸せに働けるのか」を学び、そのための準備を始めましょう。 なぜ2020年までに準備するべきなのか? 2020年の東京オリンピックの頃には、人工知能が私たちの生活にとって当たり前のものとなると言います。なぜ2020年なのでしょうか。 それは、2007年に発売された初代iPhoneが、当時は新しいモノ好きの一部ユーザーにしか使われいなかったものの、7年後の2014年には世界中の人々が使うようになっていたように、すべてのテクノロジーは、生まれておよそ5年から7年で人々の生活の当たり前になるという周期があると言われているからです。 AIの急激な進化をもたらした「ディープラーニング」が生まれたのが2013年頃なので、それから7年後の2020年には、今のインターネットやスマホと同じように、私たちにとって「あるのが当然、ない生活は考えられない」ものになっていることが予測される、というわけです。 もやはAIやロボットと一緒に暮らす生活は、近い将来に必ず訪れるものとして向き合い、そのための準備をしなければならない時期にきています。 重要なのは、「テクノロジーによって人の仕事が奪われる」と考えるのではなく、「テクノロジーに代替されない、人にしかできない仕事に、どうやって私たち1人1人の仕事を進化させていくか」を考えることです。 AIに代替されない価値のある仕事とは? AIに代替されない、人にしかできない仕事というのはどういう仕事でしょうか。 それを知るには、「AIの得意なこと・苦手なことは何か?」という視点から人間の価値を考えてみることが重要です。 AIが得意な分野、人間が価値を発揮しやすい分野について、次のマトリクスで解説しています。 細かい説明は本書を読んでいただきたいのですが、このマトリクスの中でAIが得意なのは、言うまでもなく左下の領域です。 つまり論理的・分析的・統計的で、構造的な(マニュアル化されている)仕事をしている人は、「近いうちにAIに代替される可能性が高い」といえます。 今、左下の領域で働いている人は、何らかの要素を付け加えることで、他の3つの領域に仕事を「変化」させていかなければ、いずれAIに代替されてしまうでしょう。 逆にいえば、「AIが苦手な領域」での仕事を増やしていければ、AIに代替されることなく働き続けることができます。 当然、転職というのは手段の一つとしてあります。しかし会社や職を変えなくても、今の仕事のまま、他の領域に変化させることは可能です。 AI時代に向けて、今の仕事をどう変える? 上記マトリクスの中で、最も代替されにくいのは、AIの得意な領域と正反対にある「イノベーター」です。 しかし誰もがいきなり「イノベーター」になれるわけではありません。著者は、いきなり右上の領域を目指すのではなく、今の仕事で • 「より感性的・身体的・直感的になるにはどうすればいいか」 • 「問いを立てるにはどうすればいいか」 を考えた方が、実践的かつ現実的であると勧めています。 では、今の仕事をAIに代替されないものに変えていくためには、具体的に何をすればいいのでしょうか。 以下の4つの職種について、具体的にどのような変化を加えていけば、AIに代替されることのない価値を身につけることができるのかを解説しています。 •  ̄超叛楜匏 • ∪渋し • 5蚕儼 • せ務管理系 端的に言えば、人工知能時代においては、「今までとは反対側にある仕事・事柄」にチャレンジすることが求められます。 営業・販売でいえば、「人と接する」ことの反対にある「データと仲良しになる」仕事。 製造では、「時間を短縮させ効率を上げる」ことの反対にある「感情コミュニケーションの時間を多くとる」という仕事。 技術では、「論理」の反対にある「感性・直感」の能力を活用する仕事。 事務・管理では、「前例踏襲」ではなく「未来志向」、そして「コストセンター」ではなく「プロフィットセンター」になる仕事。 「今までとは反対側の仕事や事柄にチャレンジする」ことで、AIに代替されない、人間にしかできない価値を身につけることができます。 2020年に向けて今すぐ準備しよう。                                               わたし(横田)は、「2020年、人工知能は当たり前になる」に大賛成です。欧米と中国では、「自動運転」や「現金が不要の社会」が当たり前になります。日本では、第一次産業・第二次産業・第三次産業から「人手を徹底的になくす」産業が当たり前になります。日本では例えばアマゾンの無人コンビニが主流になります。それは世界で日本が一番「人手が足りない」からです。日本は、安倍政権がデフレから脱出したと言っていますが、いま世界中が恐慌時代の入り口に陥っています。トヨタやソフトバンクの時価総額が1年後、半分以下になっていると予想します。その中で、新しい潮流がイノベーションを起こし始めています。2020年、人工知能は当たり前になります。それが本当に楽しみです。一方トヨタやソフトバンクのような多くの会社が、20世紀型企業として終わりを迎えます。                                                                         今から、1ケ月夏休みにします。次回は、8月25日(金)から始めます。
| 経済 | 05:05 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1538)
今回は、堀江貴文さんが書いた「多動力」です。                        すべての産業が「水平分業型モデル」となるこれからの時代は、節操もなく動く人が勝者になる。 堀江貴文氏の「多動力」が発売前に2万部の重版が決まり、すでに5万部を突破する、異例の売れ行きとなっている。 あらゆるモノがインターネットにつながることによって出現したのは、全業界のタテの壁が溶けてなくなった、フラットに開かれた社会だ。このかつてない時代では、業界の壁を軽やかに飛び越える「越境者」にこそ、チャンスがあるという。堀江氏は、「1つの仕事をコツコツとやる時代は終わった」と断言する。これまではネガティブにとらえられていた「多動力」こそ、未来の日本人に必須のスキルとなるのだ。   「多動力」とは何か。それは、いくつもの異なることを同時にこなす力のことを言う。 しかし、「多動力」がある人は、次から次に、興味が移り変わってしまい、まったくもって落ち着きがない。モノは忘れるし、なくすし、不注意でケガだってする。やるべきことをしていないのに、やりたいことばかりしてしまう。 「多動力」が仕事に生きる時代へ変わった。 この「多動力」。かつては、マイナスでしかなかったかもしれない。「多動力」を仕事に生かす場面は少なく、おかしな人だと思われていたはずである。しかし、これからの時代は「多動力」こそが最も必要な能力だ。ここでは、その理由を説明する。 IoT(Internet of Things =モノのインターネット)という言葉を最近ニュースでもよく耳にすると思う。これは、ありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながっていくことを意味する。 調査会社ガートナーによると、2014年時点でネットにつながっているデバイスの数は38億個。その数が2020年には200億個を超えると予想されている。つまり、テレビなどの家電はもちろん、自動車も、家も、ありとあらゆる「モノ」がインターネットにつながるということだ。 すべての産業が「水平分業型モデル」となり、結果“タテの壁”が溶けていく。 たとえば、テレビとインターネットがつながると、テレビはスマホアプリの1つになり、電話やフェイスブックと同じレイヤーで競争することになる。フジテレビのライバルは日本テレビではなく、恋人からのLINEになるのだ。 また自動車がインターネットにつながり、自動運転が進めば、もはや自動車の形である必要はなくて、ただの移動するイスになるかもしれない。そのとき、自動車業界もインテリア業界もタテの壁はなくなる。あらゆる産業のタテの壁が溶けていけば、今までの経験や肩書きは通用しなくなる。 この、かつてない時代に求められるのは、各業界を軽やかに越えていく「越境者」だ。そして、「越境者」に最も必要な能力が、次から次に自分が好きなことをハシゴしまくる「多動力」なのだ。 学校教育で教え込まれた“洗脳”を解かないといけない 「多動力」を身に付けるには、学校教育から教え込まれてきた、一種の“洗脳”を解かないといけない。 以前、ツイッターで「寿司職人が何年も修業するのはバカ」と投稿したら大炎上した。しかし、僕は未来のある若者が卵焼きを作るのに何年もの無駄な時間を費やすのを見ていられない。 情報伝達手段が限られていた時代には、おいしい酢飯をどうやって作ればいいのか素人にはわからなかったし、魚のうまさを最大限引き出す包丁の使い方はプロのみぞ知る専売特許だった。 貴重な情報を持つ親方に弟子入りし、下積みの苦労にひたすら耐えることでしか、それらの伝統技術や情報を引き継ぐことはかなわなかった。しかし、もはやそんな時代ではない。 現に、大阪の「鮨 千陽」の土田秀信店長は迂遠な修業は積んでいない。専門学校で3カ月寿司作りを学んだだけだ。その「鮨 千陽」が『ミシュランガイド京都・大阪2016』で「ビブグルマン」部門に選ばれた。開店からたった11カ月目の出来事であった。つまり、一流店になるための情報や技術などは専門学校でちゃちゃっと身につけてしまうことができるのだ。 インターネット出現前は特定の人間だけが技術や情報を独占し、それこそが価値だった。 しかし、インターネットの時代では「オープンイノベーション」が前提となる。たとえば、誰かが新しいプログラムコードやツールを作ったのならば、それは公開してしまって、みんなで改良したり、新しい組み合わせを考えたりして、さらに新しいものを作るというのが「オープンイノベーション」だ。 これからは旧態依然とした業界に「オープンイノベーション」の波が来て、情報それ自体の価値はなくなる。 そんな時代には、「石の上で3年我慢できたら次の仕事を教えてやる」などと言う親方のもとで働いていては貴重な時間が失われるだけで、とにかくチャレンジしようという行動力とアイデアを進化させる力が求められる。 あらゆる産業の“タテの壁”が溶けていく時代において、1つの肩書きにこだわっていては、あなたの価値は上がることなく、その他大勢に埋もれてしまう。 いくらでも代わりのいる存在であれば、給料も上がらないだろう。ダイヤモンドがなぜ価値があるか? それは美しいからではなく、珍しいからだ。 レアな存在になることを意識せよ。 複数の肩書きを掛け算することであなたはレアな存在になり、結果的に価値が上がる。 僕の活動や肩書きを思いつくままに列挙するだけでも「実業家×コンサルタント×プログラマー×作家×コメンテーター×クイズタレント×エンターテインメント・プロデューサー×ロケット開発者×飲食店プロデューサー×マンガ事業×オンラインサロン主宰者×アプリプロデューサー×予防医療普及協会×Jリーグアドバイザー×大阪万博特別顧問×映画プロデューサー×服役経験者×……」など、数え切れないほどある。 僕の代わりをしてくれる人はどこにもいない。だからおもしろい仕事があちこちから舞いこむ。「この肩書きで一生食っていく」などと言っている人は、自分で自分のキャパシティを狭めてしまっているだけだと思う。 肩書きが1つしかない名刺なんて、さっさとゴミ箱に捨ててしまおう。 飽きやすいということをネガティブに捉える人もいるが、実は成長が速いということでもある。 どんな分野でも、80点までは簡単にたどり着けても、100点満点を達成するまでには膨大なコストと時間がかかる。80点まではウサギの速さで駆け抜けても、そこから100点に到達するには亀の歩みになってしまう。 たとえばゴルフの平均スコア80を1年で達成できたとしても、平均72になるまでにはさらに10年はかかる。それを達成したところで、プロゴルファーとして活躍できるわけでもないのだが。 僕は80点を取れるようになるとあっさり飽きてしまうことが多い。ある程度ハマれば、大半の知識は得られる。そこから長い年月をかけて100点を取ることに執着せず、次のジャンルへ飛んだほうが、また新たな発見がある。 成長が速かったり、絶えず新しいことを仕掛けている人は、みな「飽きっぽい」。短期間に1つのジャンルにメチャクチャにハマっていたかと思ったら、次に会ったときには全然違うことをやっている。 スティーブ・ジョブズは「点と点をつなげていくと、いつの間にか線ができる」と言ったが、あちこちハマっていくうちに、網の目のように散らばった点と点が思わぬところでつながるのだ。 1度深くまでハマり、あっさりと次へ移る。これからの時代は、そうやって80点取れるものをいくつももっている人が強い。 「石の上にも三年」はもうやめよう。 時代は大きく変わろうというのに、日本人は「石の上にも三年」に代表されるような「1つのことをコツコツとやる」という価値観からまだ脱せられていない。 最近は少しマシになったが、10年前は転職すらも、ネガティブに捉えられていたくらいだ。節操もなく動く人はこの国では尊敬されない。 メジャーリーガーのイチロー選手やサッカーの三浦知良選手のように、日本では1つのことを続けることが美学とされる。一方で、ACミランの本田圭佑選手のように、サッカー選手でありながら、経営をやったり、教育事業を手掛けたりすると、「本業をおろそかにしている」とたちまち批判されてしまう。 別に僕はイチロー選手やカズさんのような生き方を否定する気はない。しかし、繰り返すが、もはや産業ごとの壁がすべて崩壊していくのだ。 そんな時代に、イチロー選手やカズさんのような才能をもたない人が、1つの仕事にとらわれてしまっていては、価値あるものは生み出せなくなっていくだろう。 この『多動力』は渾身の力で書いた。「多動力」を身に付ければ、仕事は楽しくなり、人生は充実すると確信しているからだ。あなたの人生を大きく変えることができれば、これに勝る喜びはない。                                                                                              わたし(横田)は、堀江貴文さんが書いた本「多動力」が好きです。わたしは、堀江さんのように未来型であり、ひとつのことに集中するタイプではないのです。まさに、わたしは「多動力」タイプです。わたしは、10代後半には文学者か批評家にあこがれていたし、20代には演劇に興味を持ち、20代後半にはコンピュータの組み立てとソフトに興味を持ち、同時に経営に強い関心を持ち、「経営とコンピュータ」を社是にした会社を作りました。30代には、その顧客の会社がさまざまで、ひとつひとつの業種業態に興味を持ちました。その1万社以上の会社が、わたしの「多動力」タイプで経営コンサルタントとして大いに活躍しました。40代になると、コンピュータ・ソフトから、情報通信・インターネットへの流れが急激になっていきました。流通のインフラになる情報通信会社を作りました。 ところが、44歳で脳梗塞になり、わずか半年経ったころインターネットは随分先へ進んでいたのです。堀江貴文さんは、現在45歳ですが、これからも「多動力」を活かして頑張ってほしいと思います。
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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1537)
今回は、マドモアゼル愛先生のブログ「感情は物質」からお送りします。 すべてのイノチが振動していることの実践と体感ですが、そのためには、自身の体の位置づけがとても重要になります。 身体が自分なのか、意識が自分なのかの、究極の認識です。 私達は、多くの場合、身体が自分だと思って生活していますが、そのことでむしろ体を酷使し、壊したり、弱ったりしていきます。 身体が自分ならば、動かない身体へのいらだちや、老いていく体へのあきらめや憎悪から抜け出すことは容易とはなりません。 しかし、反対に肉体ではなく、意識が自分であるとの認識に立てば、肉体はその従属物にあたる認識が生じます。 身体に私達は命じることも、それを従属物として、いたわり、大切にする姿勢が反対に出て来ることになるわけです。 お腹が空いた、、、、それは確かに脅威かもしれません。 身体が痛い、、、、それは確かに脅威でしょう。 身体が思うように動かない、、、、それは確かに困ったことです。 しかし、意識が自分で身体がその従属物であるとの認識に立てたら、次のように問題が変化します。 私はお腹を空かすことはないが、私の身体はお腹を空かしている、、、 私は痛くはないが、私の体が痛がっている、、、 私は自由に動けるが、私の体は今動けないでいる、、、、 という認識の出現です。こうした認識のもとでは、身体が自身の隷属物であるため、むしろ、いたわり、大切に扱うことが容易となります。 身体が自身であるとしたら、動かないからだ、、疲れる体、、、老いる体に抵抗するすべがなくなります。 身体はあくまで意識に隷属する別物との認識がこれから重要になってくると思います。時代がそこまで要請しているのを感じます。 この認識はそんなに難しいものではありません。なぜなら、意識が自分で肉体が隷属する別物であることは事実だからです。 事実に基づく認識は容易に自身の中に根付きます。 今回の合宿では、身体を震わすことを徹底して行い、エネルギーをふるべによって得ることを体得しました。 その際、ふるべの性質から、より微細なふるべ、すなわち振動が小さい方がより大きく精密な情報をもたらすことを実感できたと思います。 その究極に、私は身体か、それとも意識か、、、があったわけです。 自身が肉体ではなく、意識であるとの地点に立たない限り、肉体や身体を扱えないことを実感できたはずで、より微細な振動は、まさに意識であることを実感されたと思います。 そのため、合宿を終えた皆さんは、全員体が軽くなり、まるで柔らかなマシュマロのような道を歩いているような体感になったのです。全員です。10名が全員、そのような体感を得ました。 それは方法論としての成果の面と、意識と肉体の違いをおぼろげながらでも認識できたからにほかなりません。 私は意識であり、苦しむのは肉体の自分で、私は苦しむことがないのです。 こうした意識に到達することは、一般に考えられているほど難しいものではありません。 合宿では、主に寝るスタイルでふるべ実践を行いましたが、寝ながら振動を与えると気持ち良くなり、終えたのちに立ち上がることに抵抗が出てきます。 しかし、身体が立つのではなく、意識が立つ、、、との考えによれば、簡単に立てるのです。 疲れるのは、私ではなく、私の肉体が疲れているだけなのです。 私の体さん、、、ごめんね、もう少し歩くのよ、、、がまんしてね、、、すぐにお水をあげるからね、、、、 このように、肉体を自身と思わず、自身の管理物であるとの態度でやさしく、いたわり、大切に扱うことで、容易に私達は奇跡的なことを起こせるのです。 合宿はふるべ理論の集大成として、私にとっても非常に意味のあるものとなりました。本当にありがとうございました。 その中で、陥りやすい間違いもわかってきました。感情の扱いです。感情と意識はもちろん異なります。感情を見ている意識は別にありますので、感情は肉体に近い反応です。 というよりも、感情は物質と思った方が分かりやすくなります。感情は物質なのです。食べ物に美味しいものがあったり、まずいものや苦いものがあって困るのと同様、感情にもまずいものや、苦しいものがあるわけです。 感情に従って選択していくと、必ず失敗するのは、おいしい食べ物を食べ過ぎると病気になるようなものです。 感情は物質ですから、それを扱う意識が伴わないと、問題が起きるわけです。 ただし、感情もどこに根差して現れたものであるかが重要で、一概にすべてが物質というわけでもありませんが、苦しい、つらい感情は間違いなく物質なのです。 高度の喜びは意識と同じ地点に立ちますので、主に苦しい感情は物質として扱えば、怖いものは基本的になくなります。 こうした基本的な事柄を、一度私達は整理して考えることが大切であると思います。 きょうからみなさんも、おなかがすいたら、ぜひ、私はお腹がすくことはないが、私の体はお腹が空いている、、、と考え、そのうえで食事されてみてはいかがでしょう。これを続けることで、色々な発見があると思います。 疲れた時も、つらい時も同じ、、、すべては共通した原理なんです。                                                                               わたし(横田)は、脳梗塞(1994年〜)と甲状腺がん(2000年〜)になって肉体は傷んでいるということができます。しかし、わたしの意識はいたって順調で、脳梗塞も甲状腺がんもないのです。医師は、わたしの肉体を検査して脳梗塞と甲状腺がんの医薬品を渡してくれます。それは、肉体の症状に合わせた医薬品です。3ケ月にいっぺん血液検査をやります。その結果を10年分見ますと、肉体はだんだん良くなっているように見えます。そのなかにCRPという血液検査があります。CRP血液検査は、体内に炎症症状を発症すると「発症から2〜3時間」という短時間の間に急激に血中量が増加する特徴を持っております。それが、わたしの場合は0.03〜0.04という数字で、いわば100歳まで生きるというのです。本当はわたしの余命は、去年9月と言われていたのです。顎のリンパ節が腫れているのです。肺にも転移しているのです。肉体は、血液検査で健康なのか傷んでいるのか正直なところわかりませんが、わたしの意識はすこぶる順調です。「私は意識であり、苦しむのは肉体の自分で、私は苦しむことがないのです。」 それは、わたしの意識が「生と死」を超えた大宇宙にあると信じているからです。わたしがあと何年生きるかは、それほど重要ではないからです。
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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1536)
今回は、6月25日の糸井重里氏が書いている「今日のダーリン」からです。                                      ほんとうにたくさんの人が死ぬ。                      生まれる人もたくさんいるのに、                          そのことを忘れそうになる。                            どこかでひとり生まれたからといって、                        だれかが死んでいいということにはならない。                         でも、人はかならず死ぬということについては、                     ひとつの例外もない。                                                                             こんなことを書いているぼくも死ぬし、                         「そうだな、イトイもそのうち死ぬな」                         と読んでいるあなたもやがてはかならず死ぬ。                     そういう意味では、みんなみんなおなじだ。                                                                  お墓の前で泣かないでくださいという歌があった。                                 そこにわたしはいません、ということばが続く。                     あらま、亡くなった人がいない場所で、                         ぼくらは祈ったり泣いたりしてきたのか。                        そう言われても困るとかも思ったし、                           たしかにそうかもしれないとも思う。                                                                      ではどこにいるのかと考えたくもなるのだけれど、                    どこにいようがいるまいが、かまわない。                                                                   その人が生きたせいで、ここにあるもの。                         そいつが、生き続けているのだ。                                                                        こどもがいたら、こどもはまさしくそういう存在だ。                     その人が買ったもの、つくったもの、書いたもの、                     その人が語ったことば、怒ったもの、悲しんだもの、                     その人が抱きしめたもの、その人が育んだもの、                       その人が別れたもの、その人が歩いた道、                          その人が吸った空気、その人が祈ったこと、                         すべて、そのまま、その人が死んだからといって                       いっぺんに消えたわけではない。                              そして、ものも、ことばも、場所も、思いも、                        その人が死んだあとも、続きを生きている。                                                                      それを「あの人は生きている」と、言っていいと思う。                    お墓にいようがいるまいが、どこでも続きをやっている。                   ぼくが死んでも、そうなると思うと、なんだかうれしい。                                                                 今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。                   生きているうちは、じぶんがじぶんの続きをやっている。                                                                わたし(横田)は、「人間が死んだあとのことについて」随分考えてきました。わたしが高校生の時に、わたしの親友が一年間に3人別々に自殺をしました。わたしは、死をどう考えたら良いか、鴎外・漱石・龍之介・太宰治の文学全集を読みました。一方、わたしの友人は、3ケ月間は思い悩んだのですが、すぐに日常に戻っていきました。わたしは一人で「死」について考えました。2年くらい経った時に、「死」だけではなく「生」について、もう一度考え直そうとしました。その時、わたしが購読していた「試行」を出版していた吉本隆明さんに長い手紙を書きました。次に送られてきた「試行」に吉本隆明さんの返事が小さな紙に書いてありました。「十代後半で、友人の日常性と縁を切って、一人で生と死を考えることは貴重なことです。いつかきっと役に立ちます。」 糸井重里氏が、晩年の吉本隆明さんに会った時に、「人とある時出会ったときに、自分が一番身分の低いものとして意識をするように」と言ったのです。これには感動しました。わたしが40歳になったときに、青木盛栄先生と出会いました。青木先生とは3年間しか勉強することができなかったのですが、その間「生と死」について多くのことを学びました。青木先生は、「生と死」は自然界の言葉です。そこにはふつうに「生と死」しか考えていません。そのうえには、大自然の法則があるのです。そこでは「生と死」は、対立するものではなく、見事に融合しています。宇宙も同じです。わたしたちが知っている宇宙よりも、次元が違った「大宇宙の法則」があるのです。わたしは現在66歳ですが、「生と死」が融合するようにもっと勉強しなければなりません。
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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1535)
今回は、現代新書「未来への年表 人口減少日本でこれから起きること」著者河合雅司からです。                                                       2017年 「おばあちゃん大国」に変化                                    2018年 国立大学が倒産の危機へ                                       2019年 IT技術者が不足し始め、技術大国の地位揺らぐ                            2020年 女性の2人に1人が50歳以上に                                                   2021年 介護離職が大量発生する                                          2022年 「ひとり暮らし社会」が本格化する                                 2023年 企業の人件費がピークを迎え、経営を苦しめる                          2024年 3人に1人が65歳以上の「超・高齢者大国」へ                                    2025年 ついに東京都も人口減少へ                                   2026年 認知症患者が700万人規模に                                    2027年 輸血用血液が不足する                                            2030年 百貨店も銀行も老人ホームも地方から消える                             2033年 全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる                                   2039年火葬場が不足                                         2040年自治体の半数が消滅                                      2042年高齢者人口がピークを迎える                                                                                      まさに、日本の少子化は簡単にはとまらず、「静かなる有事」(ゆっくりとではあるが、真綿で首を絞められるように、確実に日本国民1人ひとりの暮らしが蝕まれてゆく)が進行しているというのだ。そして、いま「2025年問題」が喧伝されているが、最大のピンチは、上記の「2042年問題」のときで、現役世代が非常に厳しい状況になると警鐘を鳴らす。 高齢者数がピークを迎え、無年金・低年金の身寄りのない高齢者が街にあふれて、生活保護受給者が激増。国家財政が危機に陥る。 労働力人口が十数年で1000万人も激減する、というのは戦時を超える、人類始まって以来の非常事態で、著者は「静かなる有事」と読んでいるのです。 そして、ここからの現実的な選択肢は、拡大路線でやってきた今までの成功体験と訣別して「戦略的に縮む」、つまりコンパクトな成熟国家へ舵を切ることと説いているのだ。                                                                        わたし(横田)は、拡大路線でやってきた今までの成功体験と決別して、「戦略的に縮む」成熟国家への方向が正解だと思っています。それも、「未来の年表」のように25年後の「高齢者人口がピークを迎える」と考えるのではなく、5年後の人工知能(Deep Learning)の発展は、20世紀の成功体験ではなく、21世紀の成熟国家になるようにしなければなりません。それには、経営者は20代〜30代前半になるように、いわば経営者の全部入れ替えをしなければなりません。成功してきた業種業態別の業界などは、あっという間になくなるのです。今までのように成功体験を追っている経営者は、消えてなくなるでしょう。全く新しい企業が登場してきます。例えば、今のコンビニは、過去の業界になるのです。Amazonが新しい店舗・無店舗として登場してきます。
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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1534)
今回は、弘中勝さんがブログで書いている発想源「大事なのは今か未来か」からです。 【第4604回】大事なのは今か未来か                                                                         転落する人というのは大抵共通して、 「未来よりも今を見ている人」です。   危機感を持っていないわけでもなく、 「このままではまずいぞ」 「今のままではいずれ、大変なことになる」 ということは分かっているのです。   分かってはいるけれど、何の解決策も考えないし、 何の行動も起こそうとしません。   それは行動力とか実行力とか以前に、 「このままではまずいのは分かっているけれど、 今は何とかなっているしね…」 と、現状を容認してしまっているのです。   今、何とかなっているわけだから、 慌てて改革をしなくてもなんとかなるし、 ぼちぼちやっていこうよ、と考えています。   「未来よりも今を見ている」から、 そういう考え方になってしまうのです。     逆に、危機を乗り越えて改革を果たし 大きな成長を作り出していく人は、 「今よりも未来を見ている人」です。   今、何とかなっているけれども、 「この何とかなっているという生ぬるい状態が 一番危ないんだぞ」 と危機感を持ちます。   将来に危機感を覚えるのは誰でもやりますが、 現状に危機感を持つことができる人は、 意外に少ないのです。   「今、何とかなっているという状態がマズい」 ということに気がついた人は当然、 今の状態を改革します。   すると、「今は何とかなっているのだから そこまでやらなくてもいいじゃないか!」 という反対派が必ず出てきます。   しかし、何としてでも現状を打破しよう という信念がある者が何が何でも実行し、 なんとか改革を果たします。   そして、いざ改革が実現できてみれば、 以前よりもはるかに成長に成功してしまうので、 そういう実現を目にすると反対派の人たちも 「なぜあんなに意固地になってたんだろう」 と不思議に思う人ばかりになります。   実際に成果が形となって現れなければ 「危ない状況だったんだな」 「あのまま行ってたらヤバかったな」 とイメージできない、そんな人が多いのです。     未来のための改革を打ち出す時には必ず、 「それは現状、現実的ではない」 という批判をする反対派が多数現れます。   しかし、改革というものは 現状よりも未来を優先させるべきものであり、 現実的だったことが問題なのですから、 現実的ではないことに挑戦しなければなりません。   「今は現実的ではない」という批判は、 改革に対してはもう既に論点がズレているのです。   そして、そういうことを理論的に攻められると、 「しかし、それで悲しむ家族がいる」などと 感情論でしか反対出来なくなって、 どんどん論理的には破綻してきます。   現状から反対論の根拠を探し出すしかできないので、 全く話のレベルについていけないのです。   でも、そんな論理的には破綻していても、 そんな人が大勢いるから「ほらみんな反対だ」 と数の論理で攻めようとするから、タチが悪い。   そんな「未来よりも今を見ている」人たちが、 未来を創り出す改革を破壊し、 ただ茹でガエルのごとく転落に進んでいくのを 指をくわえて見ているしかなくなってきます。     経営者やクリエイターは、 「今よりも未来を見ている」という視点を 持たなければなりません。   そうしないと、現状を打破するような改革案、 今では考えられないような創作物を 生み出すことは、不可能なのです。   今よりも未来を見ることを 大事にしましょう。                                                                                               わたし(横田)は、弘中さんが書いている『「今よりも未来を見ている」という視点を持たなければなりません。』というのが大好きです。現実の経営者を見ていると、「今は何とかなっているのだからそこまでやらなくてもいいじゃないか!」という反対派がほとんどなのです。わたしは、10年前から大変革の時代がもうすぐ訪れるから、危機から5年前から準備をしておかないと倒産することになると言ってきたのです。今、大変革の時代が訪れてきました。それに気づいていない経営者がまだいるみたいですが、大変革の時代が来たといっても、もうすっかり遅いのです。5年前から準備をしておかないと、経営者としては失格です。これから数年後、20世紀の成長戦略が簡単に崩れて、新しい脱成長戦略が必要になります。脱成長戦略は、近江商人の三方よしの精神であり、売り手よし買い手よし世間よしです。お客様(買い手)に喜んでもらうことはもちろん、社会貢献ができてこそ良い商売であるという考え方であり、社会との関わりを積極的に重視するのです。 近江商人の商売十訓からです。                                     ‐η笋論い琉戞⊃佑琉戮諒仕にして、利益はその当然の報酬なり                      店の大小よりも場所の良否、場所の良否よりも品の如何                          G笋訌阿里世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる                      せ餠發両なきを憂うなかれ、信用の足らざるを憂うべし                          ヌ詰に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ                     
| 経済 | 04:43 | comments(0) | - |
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