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横田眞の脳梗塞と甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1548)

わたし(横田)は、すこぶる元気です。余命が末期がんで3ケ月から半年と言っていたがん専門医が、失血死の心配はなくなってからはもう余命のことは言わなくなりました。脳梗塞をやって22年間、甲状腺がんからは17年間経ちました。脳梗塞も甲状腺がんも、治療を一切拒否してきました。がんになったら、手術・放射線治療・抗がん剤をやるのががん専門医から言って当たり前なのですが、手術は1年以上体内の免疫療法が完全にストップしてしまいますし、放射線治療と抗がん剤は3ケ月から半年効果があればがん専門医は成功だと主張します。しかし、半年以上経って体内の他の場所にがんが転移をしたら、がん専門医は入院を半強制的に勧めます。このようなことを繰り返して、5年で余命の終焉を迎えます。本当に転移をしたがん患者は、そのことを真剣に考えて欲しいのです。自分の生命は、自分で決めるしか方法はないのです。がん専門医に決めさせるわけには行かないのです。話は変わって政治経済のことですが、政府は景気が回復していると言っていますが、街中では不景気の嵐が吹いています。今、世界中のどこかの国が5%以上株価が下落したら、1日で世界の株価が下落します。それは、ひょっとしたら中国かもしれません。要注意です。そうなった時には、97年と同じように日経平均は半値8掛け2割引になって、5千円くらいに落ち着きそうです。それがいつ来るかは、誰にもわかりません。しかし、来年の3月までには来そうです。今年は、今日で最後です。来年からは、月に2回ぐらいはブログを書きたいと思っています。どうぞ、良いお年をお迎えください。




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| 病気 | 10:28 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞と甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1547)

入院して3週目に、食欲不振に陥ったのです。わたし(横田)は、止血を目的に入院したのですが、腫瘍がかさぶたになってその隅っこからリンパ液が出ていたのです。それが、止まらないのです。医師からは、放射線を当てるしか止血の方法はないと言われました。わたしは、手術、放射線治療、抗がん剤は絶対に反対だと言ってきたのです。しかし止血をするために、放射線治療を受け入れることになりました。放射線治療は、かさぶたを照射するのですが、角度により食道に当たってしまうのです。それで食欲不振に陥ったのです。照射時間は13秒ですが、食道には物凄いショックを与えていました。もう1カ所あって、それは首の骨に照射します。照射時間は3秒ですが、飲み込みするところを通して、首の骨に照射するのです。飲み込みが急に難しくなりました。2週間で10回の放射線治療です。唾を飲み込むことができなくなったのです。医師は、鼻から溶かした食品を入れるしかないと言いました。わたしは、反対しました。点滴をやってくださいと言いました。脳梗塞で唾も飲み込めないほどになっているので、至急点滴をやってくださいと言いました。それで点滴をはじめたのです。ところが、食料を何も取らないで点滴だけだと、体重がみるみる落ちて、50kgを大幅に切って45kgから43kgちょっとになりました。それは、2ケ月間続きました。丁度その頃かさぶたからリンパ液が出なくなったのです。今度は放射線治療を終わって一週間経った頃、脱毛が激しくなりました。脱毛は頭に手を出すだけで、20本ほど落ちます。わたしは、このままだと丸坊主になることを心配しました。結局、脱毛は全体の4分の1以下に抑えて止まりました。止血が終わって次の病院へ移ることになったのです。他の患者を見ていると、医師の指示通りにみんな動いています。ほとんどの人が、がんが転移して治療をしていますが、治療がなくなったら緩和病棟で最期を迎えます。よく医師の言う通りにしていると不思議です。わたしは、医師の言うことに関してyesとnoを明確にしています。そうしないと脳梗塞から22年間、甲状腺がんから17年間、生きてはいられなかったと思います。普通は、がんで入院して、転移が見つかり、5年で最期を迎えます。わたしは、もうあと10年は世界と日本をよく見ておきたいと考えているからです。それは、明治維新以後日本や世界に大変革の時代だからです。もうその時代は始まっています。


(つづく)!




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| 病気 | 11:19 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1546))

わたし(横田)は、入院して一週間経って面白いことがありました。愛知県立総合看護専門学校の生徒が実習にきたのです。わたしは、その一人が2週間のうち、8日間一緒にいることになったのです。その女性は20歳で、名古屋市郊外に住んでいます。話を聞いていると、その女性は、単車のスズキ400ccアメリカンに乗っていました。身長は160cmで、400ccのバイクに乗っていることが信じられないほどでした。わたしは、高校の時に無免許で学校のなかを走っていましたが、当時250ccのバイクはエンジンをかけても、走ることはしませんた。怖かったのです。それを、20歳の女性が400ccのバイクに乗って、土日は遠出をしています。それも、排気音がわざと聞こえるように改造しているということでした。本当に驚きました。8日間、わたしはこれから先5年~10年の間に起こることを話していました。5年以内に、資産家と呼ばれていた人たちが、資産どころか負債で首が回らなくなります。それはお金が貯まっていたのに、貯金どころか、大幅な借金だらけになるのです。そして多くの資産家が結局破産することになるのです。本当に信じられないことです。20年前の97年に日本長期信用銀行、日本債権銀行、山一証券、北海道拓殖銀行が破綻しました。当時の大蔵省(今の財務省)は護送船団方式と言って、金融機関は一つも潰さないと言ってきました。ところが4つの大手を破綻させ、残った金融機関は合併とリストラの繰り返しを余儀なくさせたのです。89年には株価は4万円近くまで行きましたが、97年には8000円まで下がったのです。よくバブル破綻後の最低価格は半値8掛け5割引と言いますが、まさに当てはまったのです。金融機関は融資会社の担保に不動産や株式にしましたが、それが全く崩壊したのです。一方一般の人は、そのまま変わらぬ世の中を求めています。現在と未来の秒針が止まったままで、永遠に変わらぬと思っているのです。明治以来の英米の植民地政策が、去年1年の間に正反対の英米自国優先になったのです。明治維新以来の大変革がやってきたのです。遅くとも、東京オリンピックの年までに株・債権・不動産が大暴落します。これは世界中各国で起きます。今回は、20年前と違って政府の金庫にお金がないのです。2008年からの金融緩和で政府の借金は1000兆円を軽く超えているのです。安倍政権と黒田日銀総裁は、国債などで日本のGNPの2倍を超える借金を背負ったのです。政府と日銀は返せなくなった借金をどうするつもりでしょうか。日本は世界各国に援助しているので、それとの比較でまだ大丈夫だと考えているのでしょうか。しかし、世界各国の政府の金庫にはお金がないのです。安倍政権と黒田日銀総裁はここまでにした大きな責任を果たさなくてはなりません。株価も不動産の高い価格も、二人がやってきた国の借金のせいなのです。株価と不動産の高い価格が、順調な景気と錯覚しているのです。それが今崩壊の序の口にいるのです。政府は景気が回復していると言っていますが、実際は街中は不景気の真っ只中にいます。わたしは自民党が姿を消して、3年後までに新たに第3勢力が政権を取るように思います。その女性が30歳になる10年後には、今と違う社会がやってきます。ピラミッド社会が一挙に崩れて、すべての人が平等になる社会が思いのほか早くやってきそうです。そうなる日を楽しみにしてくださいと女性に言いました。8日目の最後の時に、わたしの右手で握手をすることになりました。22年前、右手は脳梗塞で内側に曲がっているのを、四六時中3ケ月間かかって右手を開くようにしたのです。1年ほど経った時に、右手は圧力計で20kgありました。女性は、圧力計で30kgでした。わたしが、思い切り右手に力を入れました。女性の右手が少し内側に曲がるようになったのです。女性には、本当に申し訳ないことをしました。8日間でしたが、思いのほか充実していました。(つづく)




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| 病気 | 10:45 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1545)

わたし(横田)は、2年前は八事日赤の医師からはもう1年の余命ですと言われていました。今度入院した医師からは末期がんで3ケ月~6ケ月の余命ですと言われています。わたしは、脳梗塞は22年間、甲状腺がんは17年間、治療を何もしてきてません。医師は、治療を一切拒否してきた患者に、余命を言うことはできなかったのです。それは、治療を拒否してきた患者に余命を言うことはできるはずもないからです。だから、余命を言う時には治療をしてきた患者と同じように言うしかないのです。治療してきた患者は、手術、放射線治療、抗がん剤治療をやってきたのです。その患者は、5年を目処に死を迎えます。しかし、わたしはその患者と全く違うのです。わたしは、手術、放射線治療、抗がん剤を最初から拒否してきたのです。入院して1日目夜、わたしは頭ががんがんとして医薬品を10数種類飲みました。2日目、3日目も同じでした。3日目夜、わたしは寝ることができず、看護師について、同じ階にある応援セットがあるところへ行きました。立っていても、横になっても、頭ががんがんするのは治らないのです。1週間経って、医師が病院と自宅で違うところはないかと尋ねました。自宅では、熟睡しているのです。そこで枕があったのです。その枕は、6年前にNHKニュースで静岡のメーカーで、枕を作っていて、世界中の病院で使われているということでした。その枕をさっそく買いました。3万5千円でした。その枕は、寝ている時に真正面を向く時と、横に向く時と、背骨の高さが変わります。それを医師にいったら、自宅からその枕を持ってくるように言われました。その枕を使うと、熟睡できたのです。医薬品も10数種類入らなくなりました。しかし、その医薬品は副作用(毒)があって、便秘になったのです。それが1週間続きました。(つづく)

| 病気 | 10:35 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して神通力が宿った・・・(1544)

お久しぶりです。わたし(横田)は、9月20日から入院しています。八事日赤で、治療はできないと言われ、別の病院に入院しました。右首筋に腫れものが2年間できていまして、そこから3回出血したのです。「失血死」の恐れがあると言われ、わたしは医師に、「止血をしてください。」と言いました。脳梗塞は22年間、甲状腺がんは17年間経っています。脳梗塞は、手術しないとあと3年以内の余命ですと言われました。甲状腺がんは手術をしないと、5年以内の余命ですと言われました。わたしは、手術、放射線治療、抗がん剤治療は絶対にやらないと決めていたのです。手術、放射線治療、抗がん剤治療をやれば、本当に5年以内の余命になっているのです。わたしは、医師に脳梗塞や甲状腺がんは、肺とか首筋の骨に転移していることは、2年前の八事日赤で知っていました。しかし、甲状腺がんは進行が遅いのです。肺や首筋の骨は、わたしの生活に影響はないのです。「失血死」が起こる理由は、簡単です。脳梗塞は「血液をサラサラにする」錠剤を飲んでいたのです。一方、「失血死」は血液を早く止めないとダメです。医師は、脳梗塞の錠剤「アスピリン」を止めました。以来、「失血死」は起きていません。医師は、末期がんで3ケ月から6ケ月の余命ですと言いました。わたしは、それはおかしいと思ったのです。「失血死」と末期がんとは何も関係がないのです。医師は、甲状腺がんを治療しなかったことを不思議に思っています。それは、甲状腺がんを6ケ月単位しか見てこなかったのです。病院は、患者を増やす拡大再生産をしているとしか思えないのです。わたしの家族も、年内をどうか生きるように医師に働きかけています。わたしは、医師と家族に健康な生活を送りたいと言っています。健康な生活とは、早寝早起き、頭寒足熱、運動と体操等をやることです。一般の人は、半病人みたいに、健康と病人の中間を歩いています。飲み過ぎ、寝不足はその最たるものです。わたしは健康な生活を送りたいのです。それからわたしは、これから起こる10年間を楽しみにしているのです。これから10年間で世界と日本に大変動を起こします。それがどう推移するかをこの眼で見たいのです。(つづく)


| 病気 | 11:14 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して、なんと神通力が宿った・・・(919)
 

ナチュラル・ハーモニー磯野正弥さんのつづきです。

 

自分はこの繰り返しの中で生き続けなければならないのだろうか? 責任を持って仕事に取り組むことはできないのだろうか? こうした思いに心が覆われてしまうのです。激しく落ち込む中、河名から連絡がありました。

「さぞや落ち込んでいるだろうな。今回の復帰は排毒の一時的な休憩だったと思えば良いんだよ」、そう言ってくれました。自分の苦しい胸の内を話すと、「迷惑かけているなんて余計なことを考えるなよ。今は身体からの反応に従っていればいい。社長の俺が言っているんだから余計な心配は一切無用」、そう言ってくれたのです。

 

そして8月1日、3度目の復帰。河名は「よくがんばったな。磯野には困難に真っ直ぐ向き合うことの大切さを教えてもらった。これから先、いつ倒れても、何度倒れても構わないからな」。私を信じて変わらぬ態度で待ち続けてくれた河名への感謝の気持ちが込み上げました。そして自分は"世界一の幸せ者だ"と強く思いました。

 

こうして約270日にわたる私の「闘病」が終わりました。その後は元気に働いています。つらくて厳しい毎日でしたが、振り返ればわずか270日のこと。終わることなく訪れる痒くて辛い症状、一生手放すことができないと思っていた薬、常に余裕のなかった自らの心。これらと分かれることができた喜びは命をもう一つもらったとしか言いようがありません。それまでの12年間の苦悩、薬漬けの日々から卒業するための"命の洗濯"がこの270日間 であったと感じています。

私がこの苦しい闘病で学んだことは「生命とは本来的に完全である」ということです。問題は生命そのものが持つ力を高めていくのか? それとも低めてしまうのか? このことに尽きるのではないかと感じています。

 

身体には本来の状態に戻そうとする力が備わっている。病気の症状とはそのために必要な過程で、辛いからといって薬で抑え込むことは"問題の先送り"に過ぎないのではないかと感じています。たとえ時間がかかったとしても、根本的な解決は「身体の防衛力」を高めることでしかないと感じています。

 

私の薬歴、そしてこの間の排毒はまさにそのことであったのです。この長い文を読んでくださった皆さんが毎日の暮らしや実際に病気に直面した時に、少しでもこのことを思い出して頂ければと願うのです。病気に頼らない生き方、病気や症状と今までとは違った角度で向き合うことができるのではないかと思うのです。

 

肥料も農薬も使わない野菜やお米、そして本物の発酵食品を食べることは、完全である身体の能力を高め、本来の力を発揮させていくことに他なりません。それらを少しずつでも身体に入れることの意味、これからもこの「ハーモニック・トラスト」を通じて多くの方に伝えていきたいと思っています。

これまでとは違った食や医療のあり方、さらには家族が元気に生きるための一助になればと心から願います。私の個人的な長文を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

ここまでの内容はナチュラル・ハーモニーの個人宅配「ハーモニック・トラスト」の会報で5回にわたって連載したものでした。連載終了後、多くの方から「今の状態を詳しく教えて欲しい!」とか「どんな食事をしているのか?」といったありがたい質問をたくさん頂きました。

 

実は8月に3度目の復帰をしてから、しばらくは不安定な状態が続きました。時折、凄い寒さに襲われたり、軽い発疹が出たりという状態だったのです。転機は10月の頭に訪れました。それは40度の熱が10日間続いたことがきっかけだったのです。

 

鼻水と痰が続き、高熱にウナされ続けました。それは苦しいことだったのですが、よくよく思い返してみれば、40度の熱が出るなんてことは記憶がないのです。そんなことがあったなというくらい、久しぶりの出来事だったのです。特に薬を使い続けてきたこの12年間は熱が出たとしてもいつも微熱。すごく熱が出にくい体質だったというのが偽らざる感想です。

 

熱が出るくらい元気になった! そして熱が下がってからは、不安定な状態は本当になくなってしまったのです。悪寒や発疹といったことはまったくといって良いほどなくなりました。熱が出ている間、河名からは「磯野も熱が出るくらいまで元気になったんだなぁ」と言われ、また三好先生からは「アトピーは熱が出るようになったらほぼ大丈夫。今後は半年も寝た切りになるようなことはないでしょう」と言ってくださいました。

 

私はお米を日に4合食べます。もちろん自然栽培のお米です。お昼に弁当を広げると周りからは「何度見てもすごい!」とよく言われます。河名からは「世界で一番自然栽培米を食べる男」と言われたりもしています。おかずは本当に少しだけ、味噌汁は毎日朝と晩に飲み、「蔵の里750g」を1ヶ月で2パック使いきっております。外食はほとんどしません。

 

以前はお酒も飲んでいましたが、今は飲めません。すぐに頭が痛くなったり、飲めば戻してしまうことが分かり、「こんな苦しい思いをするくらいなら」とまったく飲まなくなりました。これも身体が"清まった証"であると自分では思っています。お茶もよく飲みますが、すべて自然栽培のものです。何だかトラストの宣伝? そんな感も拭えないのですが、すべて事実です。

 

「闘病」を過程で、もう1つ嬉しいことがありました。私の父は30年来、睡眠薬を飲み続けていたのですが、私がもだえ苦しみながら必死に耐える姿を見て、「睡眠薬をやめる」と宣言してくれたのです。父は睡眠薬の副作用に悩んだ時期もありましたが、完全に薬断ちをすることができたのです。父いわく、「自分は絶対睡眠薬なしでは眠れない」といった暗示を自分でかけていたようだと言っていました。今は定年4年目、第二()の人生を料理に見出し、"男の料理教室"なる講座に通っている模様です。

 

闘病12年、どんなに願っても、何をやっても手にすることが叶わなかった健康のありがたさを今は日々かみ締めています。感じることは「健康は1日にしてならず」、このことです。その思いから日々の食事や生活環境には注意を払い続けています。もちろんすべての薬剤や栄養補助剤の類は一切使っておりません。今後ともこの「ハーモニック・トラスト」の会員の皆さんとともに、私自身、元気に、そして健康に、与えられたこの生命を燃焼していきたいと思います。

 

わたし(横田)は、磯野正弥さんの次の言葉に感動しました。「身体には本来の状態に戻そうとする力が備わっている。病気の症状とはそのために必要な過程で、辛いからといって薬で抑え込むことは"問題の先送り"に過ぎないのではないかと感じています。たとえ時間がかかったとしても、根本的な解決は身体の防衛力を高めることでしかないと感じています。」 わたしは、脳梗塞のときも、甲状腺がんのときも、手術・放射線・抗がん剤・医薬品のすべてを拒否しました。その時には、わたしがなぜ拒否するのかわからなかったのですが、今、故青木盛栄先生の教えが息づいていることが理解できたのです。

| 病気 | 05:25 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して、なんと神通力が宿った・・・(917)
 

昨日、ナチュラル・ハーモニーから野菜が届きました。中でも、にんじんは泥つきのままなのです。説明書を読むと、泥つきのままだと長持ちするからだと書いてありました。説明書がどっさりと来るのですが、これを読むのが楽しいのです。

 

ナチュラル・ハーモニー磯野正弥さんのつづきです。

 

季節は「夏」。冷夏とはいえ、恐ろしい寒さとおびただしい水泡に震え続ける日々。「この先どうなるんだろう・・・」、止め処もない不安と苦痛が私を襲い始めました。2003年の夏は、こうして過ぎて行ったのです。

 

9月に仕事に戻る」、そう決めて1ヶ月耐えていたものの、症状は深刻さを増していきました。水泡はひどくかゆいので、掻くとそこから水が流れる。水の量は日を追うごとに増えていきました。

 

今まで薬で固めていたものが、薬を放棄した段階から堰を切ったように体外に流れ始めたのです。8月は出てくる水の色が透明だったのですが、この頃になると黄色に変わり始めました。

 

「蓄積してきた薬剤などの異物が出始めた」と河名から言われました。血と共に流れ続ける日々。水が乾くと固まって薄皮となる。体を動かそうとすると傷口とその薄皮に引っ張られ、ものすごく痛い。そうするうちに徐々に身動きが取れなくなっていきました。

 

首は水が溜まり、ブヨブヨと3段首のようになってきました。足首は通常の3倍くらいに膨らみはじめました。鈍痛に襲われ続けているので足を高く上げることで痛みを緩和し続ける毎日。

 

顔は眉の上に水がたまり、ちょっと表現しがたい、"お岩さん"のようになっている。流れた水が固まって目が開かなくなる。口の下はザックリ割れはじめ、そこから毒血が流れ、やがて固まっていく。口も目も開かない、何をするにも不自由な状態になっていきました。全身ほぼ同じ状態になっていきました。

 

腎臓病、「ネフローゼ」のような症状。辛い毎日でしたが、気づきもありました。皮膚がものすごく柔らかくなっているのです。ほんの少し引っかくだけですぐ水が流れるのです。これは異物を体外に出すための作用で、全身一丸となって、「出すんだよ」という合図をしているのではないかと思っていました。しかし体力も気力も落ち始め、憔悴していく毎日だったのです。

 

「磯野の今の仕事は食べることだぞ!」と河名から何度も言われていたため、必死に食べ続けました。また『買ってはいけない』の著者・環境臨床医の三好基晴先生から「辛くても何でも、とにかく食べろ! 吐いてでも食べろ!」と電話で厳しく言われました。無投薬で自然治癒力にすべてを委ねる以上、体力がすべて。だから懸命に食べ続ける日々が続きました。

 

私たちの身体は、炭水化物を取ることで必要な栄養分を体の中で作ります。「主食」の米はその材料です。米を媒介に体内でブドウ糖に作り変え日々の「活動源」にしているのです。ですからクオリティーの高いお米を食べることは、良い水を飲むこと、自然に呼吸すること、よく眠ること、これらと同じように本質的で根源的な営みになるのです。

 

「おかずはいいから米だけは何が何でも食べろ!」、この言葉のままに河名が定期的に送ってくれる自然栽培のお米を食べ続けた日々。傷と皮が突っ張った状態で、背中を伸ばすことは辛いことでしたが、丸まった背中と腰で何とか台所に立ち続けました。

 

割れた口の下は開くたびに裂け、そこから血が流れる。何とか口を開き、泣きながらお米を食べ続けた日々。ほとんど開かない口だったため、食べ終わると周りにご飯粒がたくさん付いているような有りさまでした。食べることはものすごく辛いことでもあったのです。
「米や野菜がなくなる前に必ず言えよ。この場合、一切の遠慮は罪だからな」、河名は私にそう言ってくれていました。私は自然栽培の米と少しの野菜を食べ続け、そのことで自分の治癒力を含めた生命力を引き出すことに賭ける、こうした選択だったのです。

 

この間、多くの親しい人から「とにかく放っておくのはまずい。病院に行け!」とか「そんな状態で1人でいるのは無理。両親に話しなさい」と、忠告を受けていました。しかし私はこの症状に1人で耐え続ける決意でいました。確かに両親にすべてを話して、炊事・洗濯から解放されたらどれだけ""になるだろうか・・・、心の中に「迷い」も生じました。しかしこんな状態を両親が見たら何が何でも病院に連れて行くだろう。母親に涙ながらに説得されてしまえば、覚悟が揺らいでしまうかもしれない。「黙ってみていろ!」、それは私の両親にはあまりに酷だと思ったのです。こう考えると、「たとえどうなっても、最後まで1人でやり抜く」、そういう強い気持ちが湧き上がってきました。

 

私はこの治療を自分の体を使った「実験」と考えていました。12年も薬を使い続けたにも関わらず一向に良くならなかった症状。これがどうなっていくのかを耐え続けることで確かめたかったのです。そしてもし元気になれたなら、肥料も農薬も使わない「野菜」を売る資格を与えられるのだろう、そんな風に感じていました。しかし実際は余っていた薬を目の前において、これを塗りさえすればたとえ"一瞬"であってもどんなに楽になるだろうか・・・。あと2時間頑張ったら塗ってしまおう、今日までは頑張って「明日になったら」、そうやって何とか繋いでいく毎日でした。

 

わたし(横田)は、これを読みながらがん患者のことを考えました。がん患者も、治ると思って、手術・抗がん剤・放射線治療をやっているのです。しかし医師は「直らない」と思って、手術・抗がん剤・放射線治療をやっているのです。医師が医学部で学んだ教科書には、がんは直らないと書いてあるのです。がん患者と医師が、治ると直らないで別々の方向に向いているのです。医師は、手術・抗がん剤・放射線治療ががん患者を治すためではなくて、医師の経済状況が何よりも優先するからです。

| 病気 | 04:46 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して、なんと神通力が宿った・・・(915)
 

わたし(横田)は、自然農法を取り入れている農家があるということで、そこに野菜・果物を頼みました。わたしが頼んだのは、自然農法の野菜・果物を流通させるという目的を持った株式会社 ナチュラル・ハーモニー(本社:東京都世田谷区)だったのです。お試しセットがあって、わたしは野菜セット¥2,200を頼みました。自然農法の野菜・果物のほかに、米・味噌・お茶・のり・つぶ餡・にんじんジュースなどがあります。最初に宅急便で来るのは今週の34日(木)です。

 

ナチュラル・ハーモニーの河名秀郎社長が本を出版されています。

『自然の野菜は 腐らない』著者:河名 秀郎 本体1,200円+税 朝日出版社 

 

河名さんの書いた『自然の野菜は 腐らない』からです。

本当の野菜のすがたを知っていますか? ほうれん草の栄養価は、50年前の約23割。

ニンジンの栄養価は、4割しかありません。私たちが「これが普通の野菜だ」と思っている野菜は、実は、変化してしまったすがたなのです。

 

木村秋則さんの「奇跡のりんご」は、肥料も農薬もつかわず、自然にいちばん近い条件で育てられた「自然栽培」のりんごです。瑞々しく、驚くほどおいしいのはもちろん、

1)かじり口が変色しない。

2)芯まで実がつまっていて、隙間がない。

3)非常に腐りにくく、放っておくだけで、お酒に、お酢に変化する。

という特徴があります。

実は、果物だけではなく、自然本来の育ち方をした野菜は、みな、こういった特徴を持っていたのです。

 

自然本来の野菜・米・醗酵食品のすがたを紹介します。

・虫や病気にやられず、肥料も農薬もいっさい使わない

・「これが本当の野菜の味だったのか!」と驚く

・甘ったるくない、自然な甘味がある。

・トマトが水に沈む。実がつまっており、ずっしり重い

・体内で発ガン性物質に変化するという「硝酸性窒素」という肥料を使わない

・自然本来のスピードで育つので、細胞がしっかりしている

・のどにしみ入るような繊細な食感がある

・有機野菜でも、危険な場合がある

・自然栽培野菜と有機野菜をビンにつめ、経過を「腐敗実験」すると、自然栽培野菜は枯れる、自然栽培野菜は枯れる前は良いにおいがする。有機野菜は腐る、すごい腐った臭いがする。

・農地の地下20cmのところに、死んだ土がある。それを取り除かないと自然栽培はできない。肥料が死んだ土にさせている。日本ではアメリカの10倍も肥料を使っている。肥料で死んだ土を生き返えさせるためには、農薬も肥料も一切やらなくて、自然栽培をするしかないのである。それには、最低3年間はかかる。

 

わたしは、農薬だけではなく肥料が農地をダメにしていることを知りました。そして、農薬と肥料が農産物を食べているわたしたちの健康にも良くないことを知ったのです。肥料は、1平方メートルでどれだけの野菜がとれるかという人間が考えた効率でしかないのです。野菜は、効率ではなく、自然に育つものです。自然に育った野菜は、本当においしいことを人間は気付くべきなのです。

| 病気 | 04:39 | comments(0) | - |
横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して、なんと神通力が宿った・・・(854)
 

宇沢弘文さんのつづきです。

 

社会的共通資本というのは、リベラリズムの理念にかなうような経済社会を実現するために重要な役割を果たす資本とか資源、サービス、モノを、社会にとって共通の財産として大事に管理・維持していこうという考え方です。具体的には、まず第一に、自然環境、大気や森林、土壌や水などの自然環境です。第二に、社会的インフラストラクチャー。これを社会資本と呼ぶ人もいますが、そうするとどうしても土木工学的な面が強調されてしまうように感じますので、少し長いですが、私は社会的インフラストラクチャーという言葉を使うことにしています。これは道路、鉄橋、公共的な交通機関、電気・ガスその他の普通のインフラです。重要なのは、それらがどういうルールで運営され、どういうふうにして供給されているかも含めて考えることです。第三は制度資本です。教育とか医療、金融、資本といった社会的制度を社会的共通資本として位置付け考えていこうということです。

経済学者の重要な仕事は、これらの社会的共通資本をどうやってうまく管理・維持し、そしてそこから生み出されるサービスをどうやって公正に、社会正義にかなった形で分配するかを考えることです。そのための基準は、決して官僚的なものであってはなりません。また単に市場的な基準、つまり儲かるか儲からないかで考えてもいけない。あくまでも社会正義にかなった形で、しかもそれぞれの分野の職業的な専門家が専門的な知見を十分に活用し、そして公正な形で維持・管理し分配していくということが、重要な点です。

特に自然環境の場合、こういった社会組織はコモンズと呼ばれる歴史的な制度があります。コモンズというのは、自然環境をうまく、安定的に、そして持続的に管理していくための組織の総称です。

 

コモンズで注目されるのは、空海が作ったコモンズです。空海(弘法大師)は留学僧として唐の長安に渡りますが、2年で日本に帰ってきます。当時留学僧は大体20年近く中国にいたのです。ただ空海だけは2年で帰ってきました。そして朝廷に願い出て別当という職をもらって、故郷の讃岐に帰って満濃池の大修復をするのです。満濃池というのは周囲20kmくらいある巨大な日本最大の潅漑用の溜池です。溜池というより湖のような感じのところです。8世紀の初め頃作られたのですが、あまりにも大きくて、造ってもすぐ壊れてしまう。そこで空海が総監督として満濃池の大修復をしました。それは日本の土木史に残る大きな土木工事の一つです。空海は満濃池の修復という土木工事に優れていただけでなく、コモンズとしての側面もよく理解し、どういう風に使うかというルールを詳しく作ってそれを村の人たちに残しました。その後村の人たちにより何回か修復はされたのですが、ほぼ空海の修復された形のまま現在も残っています。

 

空海がなぜ2年で帰ってきたか。私は10年くらい前にスリランカに行って調査したことがありますが、その時にこういうことを知りました。4世紀頃(中国の)東秦に法顕という憎がいました。彼はインドに仏教の勉強に行ったのですが、当時すでにインドには仏教がなくなっていて、そこでスリランカに行きました。仏典の勉強だけでなく、制度や技術を学んで帰ってきました。その法顕が、スリランカの水利文明を詳しく紀行記の中で説明しています。スリランカというのは、紀元前から3世紀、4世紀にかけてシンハリという世界最高の水利文明を誇っていた国です。農業の生産性も非常に高く、その一番の中心が濯漑用の溜池でした。スリランカは当時、高地農業で、モンスーン気候で年2回雨が降り、その後は全然降らないわけです。空海の故郷、北四国も似た気候条件でした。おそらく空海は留学中に法顕が伝えた溜池のことを学んで、できるだけ早く国に帰って満濃池の修復にそれを活かしたいと考えたのだと思います。事実空海は、その後関西を中心として日本中を周り、溜池を造る技術を村の人たちに伝えました。溜池台帳というものが残っているのですが、それをみると、江戸末期には非常に多くの溜池があります。それが日本の農業の非常に高い生産性を支えていたのではないかと思います。

 

のちにスリランカはポルトガル、そしてイギリスの植民地となります。イギリスは軍隊を送ってスリランカの溜池を全部壊しました。そして代わりに大きな川にダムを作り、そこから水をひいて農業用水にしたわけです。なぜそうしたかというと、溜池をもっていると村が自給自足、独立できるのでそれを恐れたのです。大きな川にダムを作って水をひくと中央集権的な形で統治機構の支配下に村を置けるわけです。また、イギリスは同時に森林を切り開いてプランテーションを造ります。そうしたことにより、スリランカの農業の生産性は非常に落ちていくのです。汚い水でないと繁殖できないマラリア蚊が大量に発生するようになり、いまや農業の生産性が世界でも一番低い水準の国になってしまいました。

日本の場合、明治になって組織的に溜池を壊すことをやったのは政府です。溜池を壊し、大きな川にダムを作って中央集権的に農業用水を供給するようにしたのです。つい最近まで農水省の人たちは「溜池征伐」という言葉を使って溜池が残っているところを見つけては壊しにいくという、とんでもないことをしていました。その溜池が、コモンズの一番典型的な例なのです。

 

わたし(横田)は、空海が故郷の讃岐に帰って満濃池の大修復をしたというのに驚きました。満濃池というのはある巨大な日本最大の潅漑用の溜池というより湖です。そこで空海が総監督として満濃池の大修復をしたのです。日本の土木史に残る大きな土木工事の一つです。その後、村の人たちにより何回か修復はされたのですが、ほぼ空海の修復された形のまま現在も残っているのです。それが、日本の農業の非常に高い生産性を支えていたというのです。日本の農水省は、溜池征伐という言葉を使って、溜池を壊しに行ったのです。日本で政権を取った民主党が、コモンズつまり自然環境をうまく、安定的に、そして持続的に管理していくための組織を作り上げていくのができるかどうかを、わたしたち国民が注視しなければならないことです。

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横田眞の脳梗塞・甲状腺がんを克服して、なんと神通力が宿った・・・(853)
 

宇沢弘文さんのつづきです。

 

宇沢弘文さんは、21世紀に入り、資本主義か社会主義かというこれまでの考え方を超えた、新しい時代の考え方が私たちに求められていると言われています。そこで示唆に富む2つの重要な歴史的文書を、まずご紹介したいと思います。

 

第一は1891年当時のローマ法王レオ13世が出されたEncyclical(回勅)です。ローマ法王は在位中に必ずEncyclical1つ出すのですが、その時々の世界が直面している重要な問題をとらえ、そして詳しく分析して、全世界の司教(Bishop)に同時に配られます。カトリックの方は同文通達といっています。それがローマ教会の公的な見解、立場を表すのです。レオ13世が出されたEncyclicalは「レールム・ノヴァルム」という題がつけられていました。ラテン語で『新しいこと』という意味です。これもカトリックの方は「革命」と訳されています。それには"Abuses of Capitalism and Illusions of Socialism"(=「資本主義の弊害と社会主義の幻想」)という非常に印象的な副題がつけられていました。

この回勅の中でレオ13世は、当時世界が直面した一番深刻な問題を、資本主義の下で資本家階級が自分たちの利益を貪欲に追い、労働者階級から搾取し、一般大衆が非常に悲惨な生活をしていることとしました。これが資本主義の弊害です。さらにこの文書では、多くの人々は社会主義になればこうした問題が解決されて理想的な社会が実現すると思っているが、それはとんでもない間違いである、社会主義になるともっともっと深刻な人間破壊が行われるに違いないとも述べられています。それが社会主義の幻想です。

レオ13世はこのように社会主義の幻想についても強い警告を出されたわけですが、この警告は20世紀を通じてほとんど無視されてしまいました。1917年レーニンの指導の下にロシア革命がおこり、世界で最初の社会主義国家が実現した時は、経済学の理論や理想が現実の体制になって実現したと世界の多くの人々が考え非常に喜び、そして大きな期待をもちました。やがて第二次世界大戦が終わった時、それまで帝国主義国の植民地であった多くの国々が独立しました。大多数が社会主義体制として新しい国づくりを始めたとき、このときも私たちは新しい時代の到来を喜び、大きな期待をもったのです。ところが、そのうちにロシアが東欧の近しい国々を多く巻き込んで軍事、警察、政治経済、宗教、教育、すべての面で非常に過酷な、抑圧的な支配をしはじめたのです。そこで私たちは社会主義のあり方について疑問をもちはじめました。そしてソ連という国家の形成自体に非常に暴力的な、強権的な、抑圧的な手段がとられたことが明らかになってきて、社会主義に対する私たちの持っていた幻想が無残に崩れてしまったわけです。

 

第二のレールム・ノヴァルムが出されました。それは1991515日、今の法王であるヨハネ・パウロニ世が中心になって作られたものです。その主なテーマは“Abuses of Socialism and Illusions of Capitalism”つまり「社会主義の弊害と資本主義の幻想」でした。今のローマ法王はポーランドの方です。過酷なソ連の支配下にあって、ポーランドの人々の魂を守るために40年間にわたって努力をされ、その後法王になられてはじめて国を出てバチカンに行かれました。その法王は自分の祖国がソ連の支配から自由になって新しい国づくりを始めているということを非常に喜ばれたわけですが、ポーランドがあまりにも急速に資本主義への道を歩んでいることを非常に心配されました。そこで出されたのが第二のレールム・ノヴァルムだったわけです。スターリンを中心とした独裁者たちによるソ連、社会主義、あるいは世界の社会主義の悲惨な現状を非常に詳しく分析されました。自然は徹底的に破壊され、社会は分断され、人々の魂は傷つけられてしまった。ところが大勢の人が資本主義になれば問題は解決すると思っている。しかしそれは幻想にすぎない。資本主義は社会主義に勝るとも劣らない深刻な問題を抱えている。特にアメリカ主導の資本主義のあり方に対してヨハネ・パウロニ世は厳しい批判を展開されました。この第二のレールム・ノヴァルムが出された1991年の8月にはソ連共産党が崩壊、さらに12月から1月にかけてソ連という国家自体が壊滅していくという世界史的な事件が起こりました。私は事件の背後にヨハネ・パウロニ世の第二のレールム・ノヴァルムが非常に大きな力を果たしていたと思います。

 

この第二のレールム・ノヴァルムで、ヨハネ・パウロニ世は私たち経済学者に一つの問題を提起されました。それは、すべての人々に人間的尊厳が保たれ、魂の自立が支えられ、そして市民的権利を十分に享受することができるような社会、そういう社会がどういう制度なり組織を作れば実現できるのかという問題です。21世紀の問題を考えるとき、私は第二のレールム・ノヴァルムでヨハネ・パウロニ世が提起された問題に、私たち経済学者が答えるということが一番重要なことではないかと思っております。

 

わたし(横田)は、このように考えています。社会主義が資本主義になれば問題は解決すると思っているが、それは幻想にすぎないし、資本主義は社会主義に勝るとも劣らない深刻な問題を抱えているのです。すべての人々に人間的尊厳が保たれ、魂の自立が支えられ、そして市民的権利を十分に享受することができるような社会、そういう社会がどういう制度なり組織を作れば実現できるのかという問題に、今、日本の民主党は取り組もうとしているのです。

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